SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

原発の議論と想像力

放射線被曝の問題について考えると、色々とわからないことが多い。これは、情報不足と知見の不足、あと知識の不足がミックスジュースとなって、混乱が生じているわけだが。だが、私は、大抵において現象を説明できない概念的な説明には耳を傾けないことにしている。こういう理論だからこうだと言われても、「じゃぁこのボロボロの心筋細胞は、どう説明するんだ」と、それが説明されないと、多分何か、その理論と現実の間に何かがあるんだろうと疑ってかかるのが私の目線だ。それがきちんと説明されて、やっと理解に及ぶ、それまでは危なくないと主張するのは危険だと思っている。

なにせ、多くの点でわからないことが沢山ある。今日はTwitterである人と議論したが、彼の主張は、私が一方的に何かを信望していると勘違いしているようだった。私は現象について十分に説明されていないので、NOと言っているだけだ。ただ、向こう様にも一理があって、私も疑問に思っていた部分では、彼の提示した情報で説明できる部分がある。例えば、低線量被曝がバンダジェフスキー氏の言っているレベルで起こっているとすると、ヨーロッパのかなりの人口の市民がガンや心筋梗塞で苦しんでいることになる。

だが、実際はそうなっていない。提示された文章ではプルトニウムや高線量のセシウムが原因だと言っているのだが、高線量のセシウムという説明は、45ベクレル/kgでボロボロになっている心筋細胞の状態を説明できない。そうなるとプルトニウムの飛散ということになるが、今回の事故ではプルトニウムの飛散は少ないと見られているから大丈夫だという説明なのだが、これも、原発を作った技術者によると、どうも3号機の爆発時に燃料プールが爆発して吹っ飛んだ可能性があるという説明があって、その理由が煙が黒いことだという。そこで、水素爆発のサンプルとして、ロケットの打ち上げ失敗映像を見てみると、水素爆発の煙は白いことが分かる。実際、1号機の爆発も白い。では建物の粉塵で黒くなっていると考え、ビルの倒壊映像をYouTubeで眺めてみても、あれほど黒くならない。コンクリートの煙は灰色が多い。唯一黒く見えたのは、9.11同時多発テロで、ビルの内部が燃えているときに見た煙がある程度黒かった。つまり、中に黒いものがあるときに煙が黒くなる。

そうなると、3号機はMOX燃料があり、これが吹っ飛んで黒い煙が出ていると考えると筋が通る。ということはプルトニウムも結構飛散しているのではないかと思う。例え、プルトニウムが比重が重くても、ものというのは粉末にすると結構飛ぶのは、黄砂などの気象現象が証明している。理屈屋は、重たいから落ちるという。確かに落ちることは落ちるんだが、粉末にすると現実問題、比重の重いものでも飛ぶんだな、これが、なぜ飛ぶのかというと、カブトムシが飛ぶことと関係がある。カブトムシは、比重から言ったら戦車と同じなのだそうだ。でもあんな小さな羽根で飛べる。最近になって分かったのはカブトムシくらい小さいと、空気に粘り気があって、それを活用すると、あの小さな羽根で飛べるのだ。すると、高温の原子炉から出た上昇気流に乗ってプルトニウムの粒子が上空にまき上げられ、雨となって降り注いだと仮定すると危険な場所が発生していると考えることもできる。あらゆる可能性を考えると、とにかく逃げるのが最善ということになる。

分かっていないことが多いので、それが検証されるまで、危険だと考え、問題と考えるのは、それは、現実的かつ慎重な意見であって宗教などではない。むしろ、説明されたことに一切疑問を持たず、それで説明されたと盲信し、それに反する相手を宗教を盲信しているバカのように扱うものこそ、己の理知に対する盲信という宗教にとらわれている。だが、私たちは福島第一原発東日本大震災で痛いほど分かったはずだ。己の理知を凌駕する状態があるということを。火山学者の早川先生は火山を相手にしている。そういう自分たちの理知を凌駕した存在に対する畏敬の念から、彼は逃げろという。それは、私達が自然と向き合う上で必要な考え方なのだ。この考え方は宗教ではない、自然という強大な力に対する人間の謙虚さなのだ。己の弱さを理解したものの謙虚さ、それを理解せず、己の理知を過分に評価することを愚かという。ある意味、その愚かさ故に原発事故は起きてしまった。そういう反省に立つと、教科書を勉強したはいいが、文字の字面を追うばかりで、現実の観察力が足りない人間を大量に産み出してしまったことが、結果的に原発事故を引き起こしてしまったのではないかと私は思う。

「想定外」=想像力の欠如
「そんなこと、あるワケない」→起こった。(想定以上の地震が起こる)
東芝の格納容器の設計者だった後藤政志氏が会社の同僚と議論して、耐震基準をどうにかしないといけないと議論した時、そんな巨大な地震が起こるわけないと、一蹴されたりしている。

とても創造力が貧弱な人材を日本の教育システムは産み出してしまったようだ。理屈を額面通り受け取り、現実の観察力が未熟な人材を増やしすぎてしまった結果、危機に対する認識が甘くなっていると感じる。

状況が分かっていないときには、大きく逃げて、わかってきたら、それを後で修正していくというのは戦略なんだよね。そう言う戦略を馬鹿とか阿呆とか無知とか言うんだったら、ちゃんと説明すればいいだけのこと。でも説明できていないから、そういうんだよね。