SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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私が「表現の自由」が大切だと思う理由

子供の頃の私は、家の中で表現の自由がなかった。私が主張しすぎると、必ず祖母が黙らせた。私が正しかろうと間違っていようと関係なく黙らせた。祖母にとっては争いを起こす事が悪であり、主張する事で争いが起こるのならば、その主張そのものが悪だった。故に私には表現の自由がなかった。
 
でも、普通、考え方が違えばそこに衝突は起こるのは当たり前で、その衝突自体を否定する事は、個々の人間の違いを否定する事、つまり、アイディンティの否定に繋がる事だ。黙らせられ、身動きが取れず、ストレスで苦しむ私は風邪を惹いてもなかなか治らず、いつもゴホゴホしていた。祖母のやり方は、子供をストレスで病気にしてしまっていた。それほど主張できないというのは、苦しいのだ。今でも私は、時折、人魚姫のように水の中で声が出なくなって泡を食っている夢を見る。その苦しむ声は、誰にも聞こえない。なぜなら、声自体が奪われているから。
 
私が、表現の自由が大切なのは、表現が心や意思を表すものだからだ。その意思を何人も縛るべきではないという表現の自由の理念は素晴らしいと思うのは、表現できない事がどれだけ苦しいかという事を知っているからだ。それを知らない人には分からないかもしれない。
 
もう一つは歴史的な視点からいうと、独裁者は、まず文化(情報)から壊し始める。自分に都合の悪い情報を弾圧する為に、まず弾圧しやすいものを選び、それを規制する法律を作る。それを徐々に拡大解釈する事で、いずれは情報そのものを恣意的に規制するようになる。そういう時の法律は、適用範囲が曖昧で、簡単に拡大解釈する事が出来、法律そのものが刑罰の適用範囲を恣意的にコントロールできる状態にある。法の設計上、極めて不味いものだ。これは体で言えば、ガン細胞に似ている。ガン細胞はDNAに問題が生じ、アポトーシス(自然死)ができなくなり、細胞が死なずに増殖し始める。それが正常な細胞を侵食して、それが全体に波及し、体全体の機能を破壊し、死に至る。
 
青少年育成条例は、その法の適用範囲を限定する条文が極めて曖昧な文言になっており、その傾向は無限に増殖するガン細胞に似ている。過去に日本では治安維持法というガン化した法律を発症してしまい、国民の知る権利は死に瀕した。戦後、その自由が回復したのは、ガン化した法律や制度を根こそぎ取り去って、新しい体制に移行したからだ。だから、青少年育成条例自体を警戒するのは、そのガンに似た特性、曖昧な適用条文に因る拡大解釈されやすさ、規制対象が曖昧な為、それを定義する委員会とやらが恣意的に決定できる状況。そして、それを規定している連中が、非常に偏った思想持ち主である事。これらを総合すると、この法律を可決することは危険だと分かる。
 
石原慎太郎がそういう事をするのは、正義の為ではない。私が推測するに、彼の人生は虚勢の塊といえる。優秀な弟を持ち、兄の立場上、その優秀な弟を上回らなければいけない。しかし、弟を越えるものが何一つない。そうなると、自分は兄貴だと、己の年配者としての立場を誇示する以外にない。その為に必要なのは、それを皆に納得させる為の弁舌であり、奇麗事でも何でも、とにかく、他人を納得させる事の出来るものに飢えているわけだ。己が無能であるがゆえに、そうなる。例えば、彼はよく人を非難するが、それは、そうやって非難する事で自分を相対的に善人に仕立て上げたいわけである。そうやって人に認めてもらおうという意思がありありと見える。私には彼の弱さがよく見える。だが、そういう弱さを見ても、通常は私はそれをつつかない。哀れだと思うけれど、それを言う事はない。だが、今回は別だ。なぜなら、そういう自分が認められたいがばかりに言う論理で、弱者が犠牲になる可能性があるからだ。だから、その心理構造を説明し否定する。彼は自分を認めて欲しいとあがいている哀れな男でしかない。(見る人が見れば、石原慎太郎は、ただのチキン男でしかない事が分かるだろう)
 
そんな男の主張に耳を傾ければ、何が起こるか?弱者が犠牲になるのである。どのように弱者が犠牲になるのか?欲望のはけ口を規制でふさがれた人間は、どこかで、それを解消しようとするだろう。その結果、性犯罪件数が増える。児童ポルノ法を作り性犯罪を倍増させた張本人である彼らは、何も責任をとっていない。偽善者の特徴は、責任をとらない事。私を苦しめた祖母も同じだった。彼女は私を苦しめた事に謝罪した事はなかった。最後の最後まで自分が正しいと信じていた。人を散々苦しめていたのにも関わらずだ。偽善者の恐ろしいところはそこである。自分が他人を苦しめていても、その行為が間違っているとは思わず、正しいと信じ続け、人を苦しめ続けるのだ。この条例案にYESというのは、結果的に弱者虐待を誘発する法案にYESと言う事である。それは、過去の犯罪白書を見れば明白に分かる事だ。
 
 犯罪白書 1997年〜2006年 性犯罪はP.5 1997年〜2006年)
 警察庁の性犯罪の統計データ(5ページ目参照)
 
 
「偽善者よく、人の為といって己の為に行動する。それは己のした事で他人が実際に苦しんでいても自分が正しいと信じ続ける事から分かる」 by skymouse
 
大岡越前の名裁き「子争い」で、子供を引っ張って勝った方に親権を渡すと大岡が言った時、引っ張られて苦しむ子供を見て、手を離し引っ張るのをやめるのが本当の母親、親権欲しさに子供が苦しむのを無視して、引っ張り続けるのが偽善者。偽善者は己の目的の為には他者の犠牲をいとわない。逆に本当に正しい人は、自分の都合だけではなく、他人の都合を考える事が出来る人だ。この場合、統計データを見れば、規制をやった途端に性犯罪件数が倍増したわけだから、倍の人間が苦しんだ事になる。その苦しみを無視して、自分の考え方を貫き通す石原慎太郎のような人間を偽善者、ポルノを規制した事で苦しむ人が増えるのならば、これ以上、間違った規制には賛成しないというのが、現実的な良識というものなのだ。