SKY NOTE

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ハーバード白熱教室 サンデル先生の講義の感想 第三回〜第四回

サンデル先生の講義全体から見る意義については以下の2点

1.哲学は思考の道具(答えではなく道具としての教養or知識)

  • サンデル先生の講義で自分が最も興味深かったのは「思考の道具」という言葉を使って、正義という普遍的な視点から現実にあるありとあらゆる問題を読み解いていこうという姿勢です。これというマニュアルがあるわけではなく、思考のブロックがあって、それを組み上げて自分の好きなように正義をデザインしていく、そういう答えではなく、考える事を前提にしているところが面白い。この発想は「答え」と言う独裁者がいるのではなく、個々の人間が「思考する」と言う民主的プロセスがあるところが重要。

 
2.公共の理念の復活の契機になりうる内容

  • もう一つは、正義を通じて、公共の理念の重要性を論理的かつ明瞭に説明している点、今まで、これほど明瞭かつ具体的に公共の理念について説明している人は見た事がありません。このことが、日本人が忘れてしまった公共の理念を新しい形で蘇らせる契機になったような気がします。

 
個別の講義内容の感想

第3回の途中から...

ベンサム功利主義の喜びの量と長さを重要視する姿勢は、とても直感的で分かりやすかったが、その欠点をローマ人の人殺しを楽しむ下劣な喜びも認めるべきなのかと言う反証を用いて、その欠点を指摘されると問題があると感じる。そういうジェットコースター感が面白かった。これが正しいと思った瞬間にその問題点が明解な事例で指摘され、突き落とされる。(ある種ブラックジョーク的なユーモアを交えて)そこでどうすればいいと悩むと、ジョンシチュアートミルの功利主義を修正し拡張したものが出てくる。これの何が興味深いのかと言うと、優れた教授法だと思うからだ。以前、このblogでサンデル先生の授業は、DEATH NOTEみたいだと書いた。展開に起伏をもたせて興味を持たせるように工夫されている。その起伏がジェットコースターのようにスリリングであれば、人を引きつける力が強くなる。この構成の面白さに自分は興味をもった。サンデル先生の授業を聞いていると、一つの木を連想する。功利主義と言う木があれば、その木が高級な利と低級な利に枝分かれしていく、人の頭の中で教養の樹木を育てるような所、そこに興味を持った。まるでニューロンが枝分かれするように教えている。
 
私個人としては、人の食べ物の好みが違うように、人それぞれに独自の利益が存在するが、同時により大きな視点に基づいた高いレベルの効用もあると感じる。そう考えるとジョンシチュアートミルの考えに行き着く、私の考え方は、それが失われた時、その大切さが分かると言うように、高級な利益と低級な利益を分ける手段として、それが失われたらどう思うかという基準で考える事にしている。例えば、人の命だ。一度失われてしまうと、取り戻せないので重要度が高い、つまり高級な利。逆に面白いけど、なくてもいいやと思えるものは、低級な利と考える。
 

第4回

ロックの不可譲の考え方は面白いと思う。つまり、自分を所有する権利はあっても、それを他人に譲り渡す事は出来ないと言う論理だ。その論拠に神が出てくる事は解せないが、不可譲という論理があることで、奴隷制度や個人の権利や労働の価値を養護できる事を考えると、この考え方は魅力的と言える。それに加えて、この発想がアメリカ建国の精神になっている事は興味深い。確かにアメリカはそういう考え方だと思う。ロックの自然法に対する主張をイメージ化すると、自然を一枚の紙だとすると不可譲の権利と言う罫線の入った方眼紙があると言える。つまり、その罫線の向こう側は、相手に譲渡する事の出来ないものであると言う事だ。そう考えると、個々の方眼紙の升目事(人間)に平等な権利が割り振られている事になる。極めてフラットな発想で理解しやすい。自然法では、基本的に政府が存在する前からあるものと定義されているので、政府による事なく、それは認められなければいけないと言う論理が成り立つ。この論理はアメリカのボランティア精神に通じるかもしれない。つまり、人には、誰にも不可侵の権利があるのだから、それを尊重するのは当たり前だと言う考え方だ。それを尊重する精神として、無償で人々の権利を養護する活動、つまり、ボランティアの考え方に通じると感じた。
 
ロックの不可譲の権利、生命、自由、財産の権利について、政府によらず、自然に存在するという所にアメリカ人と日本人の考え方の違いを感じる。日本人はまず、社会や周囲のルールから他律的に考え、そこに発想が制約されるが、アメリカ人は自分自身にある不可譲の権利から自発的に考える事によって、自律的な発想をしていると感じる。つまり、誰もが社会による事なく既に生命、自由、財産を保有する権利があり、それを養護するのは当然と言う考え方だ。ここに日本人とアメリカ人の考え方の根本的な違いがあると言える。私個人は日本の村八分よりもロックの考え方の方がいい。なぜなら、村八分よりもロックの考え方の方が、その定義が明確で普遍性を感じるからだ。
 
ロックの自然法と多数決の構造については、日本人の場合、多数決が100%という位に考えているが、ロックの場合、元々自然権と言う不可譲の権利という土台があって、そこに多数決の論理が乗っかっている。日本の場合、不可譲の論理がなくて、多数決のみがあるという所、だから日本の場合は、集団の暴走が止められない。
 
このようにサンデル先生の授業を聞いていくと、日本人とアメリカ人の発想の違い、日本の問題点、あるいは、アメリカという国の思想が見えてくる。特にアメリカ人が自発的に発想する起源となっているであろうロックの思想は興味深かった。
 
ハーバード白熱教室の動画リンク
http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-category-284.html