SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

コンセンサスを得ようとしてコンセプトを捨てる日本

私は、どちらかというとコンセプトを生み出す側の存在、優れたコンセプトは世界を変える事が出来る。アメリカはコンセプトをコンセンサスにする事が出来る国。だから、新しいビジネスを創造できる。しかし、日本はコンセンサスを得る為ならば、コンセプトを捨てる国。だから、新しい事を創造する人間がいても、それがコンセンサスにならず、新しいサービスが生まれない。故にコンセンサス主導の発想が日本の発展を妨げている。
 
コンセンサスが何よりも大事なのは、皆が村八分を恐れているから。だが、恐れていると同時に、皆が村八分を実践している国だからこそ、この国は救い難いのだ。正確に言えば村八分を恐れるあまり村八分をする。村八分村八分を生んでいるのだ。このループ構造が日本の低成長の原動力である。私が村八分を恐れないのは、自分がなくなる事の方が恐ろしいから。
 
「みんなと一緒?!気持ち悪い変態じゃないの?」
「みんなの顔も、体も、考え方も、食べ物の趣味も違う。なぜ同じでないといけないの?」
「なぜみんな同じというものに執着するの?」
 
この疑問にまともに答えられる人はいなかった。ただ、彼らは私を「わかってないな」と笑っていた。だが、もし、その笑いこそが日本の発展を妨げているとしたら笑えないだろう。自分で自分の首を締めて笑う人はいない。だが、実際は笑っている。なぜなら、それは自分の手が自分の首を絞めているとは思っていないからだ。
 
私がコンセプトを作り、他人がそれをコンセンサスに出来た時、そこには大きな成功があった。コンセプトをコンセンサスにするものは、表現力である。人の注意力は有限だ。その有限な注意力を効果的に表現力で増幅し、拡張した結果。コンセプトはコンセンサスになる。私はコンセプトを作る才能はあるが、それをコンセンサスに変える表現力はない。たまたま表現力のある人間が、私のコンセプトを拾い上げて大成功する時、私は自分にもっと表現力があれば良かったのにと思う。
 
私に言わせると、日本人は同化する事に執拗に執着する「変態」だから、独自のコンセプトを尊重できず経済成長しない。もっと「まとも」になろう、それが私のアドバイス。私にとってまともは、素直にお互いの違いを認める事。それが自然な姿だから。そういう意味では自然になろうという意見でもある。人工的に同じになる習慣が行き過ぎてしまった結果、コンセンサスを得る為にコンセプトという宝を捨てる国になってしまった。
 
サンデル先生の授業は、そんな日本人にコンセプトの大切さを伝えるいい内容だと思う。サンデル先生の授業は表現力があって、とてもエキサイティングだ。だから、この楽しさを理解できる人が沢山いる事は日本も捨てたものではないとも思う。もしかしたら、サンデル先生のような表現力がないことが日本の低迷の原因かもしれない。サンデル先生の授業の面白さを再現できれば、私もコンセプトをコンセンサスに出来て成功するかもしれない。でも、今の私はコンセプトをバカにする人達に囲まれて暮らし、毎日腐っている。自分に表現力がないのを嘆きながら、毎日を暮らしているが、何が表現力になるのか分からない。
 
言葉がまるでクリスタルガラスのように他人の心を通り抜け、何も引っかからない。コンセプトという光があっても、その光を見る事が出来るのは、一握りの優秀な奴だけ。それ以外の凡人は、私が何を言っているのか分からない。そう思う事がある。なぜなら、私は普通の人は動かせないが、普通じゃない人間を動かす事は出来る。もっというと、私は直接人は動かせないが、人を動かす人間を動かす事が出来る。これは、人を動かせる人間が私の声を聞いて、それで動いた結果なのだ。優秀な連中は私の声が聞こえる。なぜ、凡人には聞こえないのか?それは分からない。なぜなら、私の言っている事は中学生くらいならば分かるくらいの簡単な事。でも、それが分からないというのが分からない。難しくないのに分からないというのが分からない。