SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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知性的なマスメディアとは?

自分が評価するものと、世間が評価するものの違いを考えてみると、世間が評価するものは、内容よりも表現力を評価している。ではなぜ、内容より表現力が優先されるのかと言うと、単純に分かりやすいからである。そういう意味では、池上彰さんの番組は、表現力と内容が兼ね合わさっていると言える。内容を表現力で補完できていない情報は、見向きもされない。私は、ある程度、表現力が無くても、意味が分かれば評価するのだが、一般的に意味が分かっていても、表現力が伴わないと、コンセンサスが得られないと言う事で無視するケースがある。
 
私は、コンセンサスと言うのは、内容が分かり意味があると思った者が素直に評価すれば、結果的に得られるものだと思うのだが、実際には、そう考えている人は少数のようだ。ある意味、コンセンサスにおける成果主義のようなものだ。つまり、コンセンサスが得やすいと思えば、それに手を上げて支持する。内容よりもそれは優先される。結果的に、程度の低い者が評価される傾向にある。
 
つまり、コンセンサスにおいて、日本人は保守的なのではないかと私は思う。安易なコンセンサスを得ようとするあまり、ベストな意見を排除し、どうでもいい奇麗事を評価する。しかし、それは結果的に実益を伴わない事が多い為、全体が損をする。そこでコンセンサスの革新とは何か?と考えてみると、多数派に組する事を考えず、素直に良いものを良いと評価する事だと言える。その総和が結果的には、革新的な変化を生み出す。
 
多数派と言う権力ではなく、合理や実益のような知性を評価する。それが変化を生む。革新に導くには、権力に依存する発想から抜け出す必要がある。日本の閉塞感は、この権力への依存思想が元凶だと思う。権力(多数派)に依存しようとするあまり、結果的に変化を受け入れられなくなっている。変化は常に最初はマイナーであり、そのマイナーであっても正しい方向性を示していれば、評価するべきなのだ。
 
私が安易な権力を尊重しない理由は、それがチープで意味がない事を知っているからである。無視すればただの臆病者の理屈でしかない事が分かっているからである。そんな見窄らしいものをありがたがるなんて馬鹿げていると思うのが、私の発想である。
 
但し、日本の大手マスメディアの情報をベースに知性を評価するのはいささかリスキーであるため、インターネットに新しいメディアを作り出す必要がある。新聞に変わるもの、テレビに変わるもの、そういうものを用意し、その情報を土台を元に変化を生み出して行く、より、インテリジェントなマスメディアとは何かと思案しているが、その答えは見つからない。
 
現行のマスメディアの質の低さは競争のない世界観から生まれたものであるから、競争が激烈で、しかも、ある程度収益を得られる事で有能な人材を雇用し、運用できるビジネスモデルの創出が必要なのだ。
 
iPadは、その答えになりそうなメディアだが。その流れが本格化するにはあと2〜3年待たねばならないだろう。iPadのようなタブレットコンピューターが普及するには、それ位の時間が必要なのだ。私が考えている次世代のマスメディアは、情報収集は、基本的にコンピューターで自動化し、人間は分析するのみ、分析者はフェローと呼ばれ、そのフェロー達の分析を、分かりやすい文章や図やグラフで表現するチームがある。現行のマスメディアは情報収集に重きが置かれていて、専門的な内容になると、そのレベルの低さが露呈してしまう。頭がなく目と耳しかないので、深く切り込んだ記事にならない。要するに知的な記事にはならない、テープレコーダーが記事を書いているようなものだ。欲しいのはテープレコーダーではなく、適切なアドバイスである。テープレコーダー部分はインターネットでほぼ代替できるため、そのニーズは、ほぼ消滅しているのにも関わらず、あいも変わらず伝聞記事が主体の新聞記事を見るとシーラカンスを眺めるような気分だ。
 
要するに、情報をただ記録するテープレコーダーよりもアドバイザーが新しいマスメディアには求められている。記者ではなく、識者が求められる時代になると思う。