SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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正しければ正しいほど、天岩戸が閉まる

私は「正しさ」を追求するのだが、それを言うたびに、人の反応が頑なになる。それは私が正しいと言う事は多分わかっているが、「間違っている自分の自尊心はどうなるのだ」という反感がそうさせているのだと思う。つまり、天岩戸のように閉じた人の心を、「正しさ」でさらに閉じさせるのではなく、「楽しさ」で開かせる事が必要ではないかと思う。
 
つまり、私が追求するべきなのは正しさの段階ではなくなっていて、実は、次の段階の相手の居場所を用意する事なのだ。それは楽しさであったり、双方の利益であっても良い。薩長を連合させた坂本龍馬を見ると、やはり、薩長が連合するのは正しいという事を超えて、お互いの利益や彼自身の飄々とした態度が人の心を和ませ、合意に導くのではないかと思う。私もその域に達すれば良いのだが...
 
龍馬だったら、こう言うと思う...
1.薩長が争う事はつまらんと説く(江戸を火の海にするつもりか?)
 争わずに共闘した方が楽しいと説く(天岩戸で宴会を開き、隙間を作る)
2.その上で連合した方がメリットが多いと説く
 双方のメリットを強調する(手力男命 (たぢからお)の強力で天岩戸の隙間をこじ開ける)
3.そうした方が楽しいしメリットがあるから、一緒にやろうと説得する。
 話をまとめて、双方にYESと言わせる。(天岩戸をこじ開けて、天照大神を引き出す)
 
皆の心が一つの袋の中に収まるような大きな袋を用意し、そこに入った方が得だと説く。そんなイメージだ。龍馬の懐の深さは江戸の人々を救っただけでなく、日本をも救った。そして、新しい事に寛容な龍馬が作った会社は弥太郎を経て三菱グループとなって、今もこの国を支えている。
 
単なる正しさではなく、皆をその正しさに引き入れる懐があってこそ、正しさは生きる。だが、私にはそういう懐の深さはないのだが…