SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

争わないという偽善

日本人には建設的な議論が出来ないと言われる。私はその原因の一つに、過剰なまでに衝突を避ける姿勢があると思う。人は違って当たり前、故に、争いがあるのも当たり前。でも、それを否定したいというニーズが「争いたくない」というニーズとしてある。

1.争わないという偽善
「争わない」それはとても大人で正しい事の様に聞こえるが、実際には最悪の結果を招く事がある。余計な争いが減っていいではないかと思うかもしれない。しかし、それが最悪の結果を招くのは、争わない為に真実を犠牲にする事があるからだ。どうでもいい事を切り捨てて、争わないのは理にかなう行為であるが、重大な事を犠牲にして、目先の些末な争いを避けるのは偽善である。(引き起こした結果によっては犯罪的ですらある)

2.情報が欠落したまま争いを避けようとするのは危険
特に日本にはリスクに対する一次情報が欠落している事が多く、産業部門二酸化炭素排出量は?と聞いても殆ど誰も答えられないだろう。もし、それを公開すれば、いくつかの産業が存亡の危機に陥り、そういった企業や組織と争いが生じる可能性がある。日本のメディアは、それに配慮している様に思える。(なぜなら、CNNなどの外国のニュースでは具体的な数字がズバリ表示されるのに対して、日本は1990年比排出量6%削減とか二次情報ばかりで、その一次情報、1.75億トン削減など具体的な絶対値が公開されない)

CO2:1.75億トン削減(%じゃ具体的にどれくらいか分からない)
日本は1990年から減らすどころか8%も増加していて、その上に6%削減するので合計14%が1.75億トン(1990年比)

3.建前がより非情な結果を招く事がある
つまり、過剰に争いを避ける姿勢によって人々に情報(真実)が公開されない。これによって、人々は何が重大か比較検討する事が出来ず、優先順位を定める事が出来ない。そうなると、温暖化対策が数値的裏付けのない情緒的なものになってしまう。それはそれはパフォーマンスの低いお粗末な決定になってしまう。

1.争わないという発想のもと、争点になりそうな情報が隠匿される
2.情報の欠落により優先順位が定められないまま、重要な事と、どうでもいい事が同列に扱われる。
3.争点が曖昧なまま、情緒的に皆が最も満足する結果に落ち着く
4.合理性に欠けたパフォーマンスの低い意思決定となる。
5.それが実行されて、効果が芳しくないと責任のなすり合いになる。
6.温暖化の場合、それで人が死ぬ
いやもう既に亡くなっている。(ミャンマーの巨大サイクロン)こういう現実があるのに、温暖化対策をきちんと行なわない事は非情な結果を招く

4.偽りによって争いを避けようとするのは危険な行為
結局、争わないという姿勢について言えるのは、誠実さを失ってまで争いを避ける必要はないという事なのである。むしろ、誠実さを代償に目先の争いを避けようとすると、より多くの犠牲を強いる結果を招きかねない。だから、私は争えとは言わないが、誠実さを失ってまで争いを避けようとするな!と言いたい。事実に基づかない意思決定は、最悪の結果を招くのだから。(そういうものこそ最も危険である)
 
2004年の二酸化炭素排出量(日本)
(2004年の温暖化ガスの96%程度を網羅している)
資源消費量の統計から単純に二酸化炭素排出係数をかけたものであるため、若干の誤差があるが大まかな数値としてみてほしい。特にプラスチック(ナフサ)などは燃やされずに埋め立てられる場合、二酸化炭素にはならないので、多少の誤差がある。(12.99億トン 二酸化炭素換算0.7億トン分(注:修正0.5億トン→0.7億トン)のメタンなどの二酸化炭素以外の温暖化ガスはここには表示されていない。2004年の温室効果ガス全体では13.5億トン)
赤系:石油
緑系:天然ガス
黒系:石炭
白 :石灰