SKY NOTE

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戦争を抑止する経済理論「社会的共通資本」

戦争について考えてみる。なぜ、戦争について考えるのか、平和を維持する為に何が必要かと言う事を考える為にそれが必要だと考えたからである。

高校の歴史の先生に「戦争には必ず経済が関わっている」という言葉を今でも思い出しながら、イラク戦争や歴史上の戦争を見ている。イラク戦争が起きた理由は、大量破壊兵器ではなく、軍産複合体の経済拡張主義から生まれた。つまり、軍産複合体の巨体を支える為の戦争だった。軍産複合体企業の内、軍事ではない企業の場合、戦争経済がなくても、経営は成り立つので、それらの企業にとっては、戦争は必ずしも必要ではないが、戦争になったらなったで巨大な需要が転がり込んでくる事は確かだ。イラク戦争において、莫大な利益を得たであろう企業は、武器産業の他に建設業があげられる。その中でも世界最大の建設会社(年間売り上げ4兆円)、アメリカのベクテル社が挙げられる。この会社はアメリカ政府とのつながりが強く政商と言っても良い。会社の経営はベクテル一族が握っており、石油コンビナート、発電所、ダム、空港、港湾、軍事施設などの建設を請け負う。株式非公開の"個人の会社"なので、決算などの情報は公開されていない。(個人企業なので公開する義務がない)

 Wikipedia:ベクテル社

 世界最大の個人企業「ベクテル社」2013.11.23

このベクテル社は、戦争で破壊されたものを再建する事で儲けている会社である。
湾岸戦争におけるクウェート復興
コソボ紛争における復興事業

つまり、戦争の背後には、ベクテル社のような企業がいるわけである。戦争で武器産業が儲けて、その復興事業ベクテル社のような建設企業が儲けるという構図を理解すれば、戦争が一粒で二度おいしい経済構造を持つ事がわかる。つまり、現代の戦争、特にアメリカが引き起こす戦争と言うのは、特定の軍産複合体企業の経済的需要を生み出す為の公共事業と言う事になる。

経済的需要を生み出す為の戦争なので、そもそも戦争に大義などいらない。ただ、それが起こればいいのである。だから、イラク大量破壊兵器はなかった。それは単に戦争を起こす口実に過ぎず、ウソの供述によるものであった。でも、その偽りの為に多くの命が失われ、沢山の人が不幸になった。その背後で、ベクテル社のような企業が巨利を得ていたわけである。ここで戦争について考えてみると、つまり、需要を生み出す為の戦争という定義に則れば、需要を生み出すのに、必ずしも戦争など必要ないのである。ただ、それが巨大な利益を生み出すという点を除けば、全くメリットと言うものはないものだ。

ベクテル社のような企業は、個人企業であるため、その意思決定はベクテル家の意向による所が大きい。この巨大な企業がより大きな利益を望もうとすれば、戦争が必要になってくる。そして、実際に戦争が起きる。つまり、軍産複合体企業の経済的拡張主義に基づく戦争。つまり、経済拡張主義こそが戦争の温床である事がわかる。

つまり、戦争は、新自由主義と深く結びついていると言える。自由主義経済では、自由な経済の拡大を目指している。しかし、この考え方には循環と言う思想がないため、格差が拡大し、それが特定の企業群の権力も拡大し、戦争を引き起こすだけの力を持つに至ってしまったと言うのが現状と考える事が出来る。そこで、経済思想を転換する事によって、戦争を防ぐと言うのが、私の持論である。

つまり、拡張ではなく、循環を是とする経済思想への転換である。軍産複合体企業の経済拡張主義を正当化しているのは、新自由主義である。しかし、この拡張経済は戦争の温床となり、良くないと言う事になれば、それに代わる考え方として、循環という概念を経済思想に組み込めば、悪戯な拡張主義は否定され、戦争が抑止できるのではないかという事である。では、どのように循環経済を形成するのかと言えば、企業に課税する事である。戦争を起こして経済を拡張するのではなく、租税や循環取引制度(排出権取引など)を通じて、経済を循環させるのだ。循環型経済では、必ずしも拡張は必要ない。循環を阻害する格差が否定される。そして、格差を否定する先には、軍産複合体企業の力をそぎ落とす効果もある。そうなれば、彼らが背後から暗躍して戦争をするという行為も、難しくなるし、そういった拡張経済も正当化されず、同時に課税される事によって、経済的な巨大さから来る権力もそぎ落とされるだろう。

つまり、現在の戦争をなくすには、経済的思想を「新自由主義」から「循環型市場経済」へ移行する事が求められている。その為の経済理論として、宇沢弘文先生の「社会的共通資本」という考え方が重要になってくる。社会的共通資本は、二階建ての構造になっていて、自由である経済と公共資本を分離している。

  • 社会的共通資本の模式図
  • 社会的共通資本は...
  • ・医療
  • ・道路/交通
  • ・教育
  • ・水道/電気
  • ・自然

これらの人が生きるための基本的なものに対して、政府が資本を投下したり、規制をかけるなりして、公共的な土台を担保するというのが社会的共通資本の考え方です。公共の利益と自由市場を分離することで、その個々の利益を両立させるという考え方です。これが単なる社会主義との違いです。社会主義では全体を計画経済の枠にはめ、個々の人間の創造性や自由をスポイルしてしまう。かといって、完全に自由市場に委ねてしまうと、金銭的利潤追求のために公共的な利益が阻害される。よって、それらを分けて扱うことによって、それぞれの役割が達成できる様にする。それで人間的な尊厳を保った形で自由を享受できる社会を生み出す。それが社会的共通資本のコンセプトです。それを実施する形態を社会的共通資本では「コモンズ」と定義しています。コモンズは、「社会的共通資本をも含めた希少資源の最適な配分、持続可能な経済発展を実現するためには、社会的共通資本を実際に管理し、運営する主体として、どのような社会的制度ないし管理的組織を想定すればよいのだろうか」という問いに答えるのが「コモンズ」という概念です。
「コモンズは、さまざまな形態をとるが、いずれも、ある特定の人々が集まって協働的な作業として、地域の特性に応じて、持続可能なかたちで社会的共通資本を管理、維持するための仕組みである」と定義されています。残念ながら宇沢先生の著書、社会的共通資本からは、具体的な形は、書いておられなかったのですが、ここから先は、私がそれを実現する金融制度を考えてみました。

まず利潤追求から分離するための金融制度として、社会的共通資本(医療、交通、教育、水道・電気、自然)については、無利子融資銀行を設立します。これの原資は日銀の通貨発行で行います。(現在は国債発行でも良い、なぜなら金利がマイナスだから)これにより、利潤追求の自由市場の流れから社会的共通資本を金融的に隔離します。資本が無利子で市場をぐるぐる回ることで、公共的な利益を継続的に達成するというのが、その目的です。各々の専門家、あるいは地域が個別に融資条件を設定し、その条件下で融資することで、その分野、その地域にあった経済モデルを構築します。完全に無利子ですと、返済しない可能性も考えられるので、その場合は、融資期限内に返済しないとペナルティとして利息が発生するという形で、過剰な融資、融資の焦げ付きを防ぎます。

また、排出権取引のように社会的共通資本を破壊する行為に値段をつけて、それを破壊していない企業に富が流れると言う経済取引制度を充実させて、社会的共通資本を維持する行為に経済的な正当性を持たせるというのも重要です。

これら社会的共通資本という経済思想に基づく、取引制度、規制、租税などを通じて、単に自由な市場と言うのではなく、そこに富の循環の概念を加えた循環型市場経済への移行によって、過剰な経済拡張主義を否定し、イラク戦争のような理不尽な戦争を抑止すると同時に格差の是正による需要の増大によって、皆が豊かになり、その過程でテロも抑止する事に繋がる。そして、それが豊かで自由で平和な社会を生み出し、人々が幸せになると私は考えます。

  • 膨張経済の延長線上に戦争があるのならば、その膨張を正当化している思想ごと変えてしまえば良い。新自由主義から社会的公共資本への転換こそ平和への道。

 

  • 「社会的共通資本」は、自分は図書館で借りて読んだ。