SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

子供が悲観的になってしまう家 山王寺屋タイプの家

最近、買い物に行ったら、風邪をもらってきまして、出かける時にはマスクをしないといけない季節になったなと感じる日々でございます。風邪のせいで頭が痛くなり、体調が悪くなって、悲観的になっている時、どうして自分は、悲観的に考えるのだろうと思って、ふと考えてみました。

悲観的でない人間を思い出してみると、小学校のクラスメートだった人を思い出しました。彼の家はとても明るい家で、市営の体育館で家族でバスケをするくらい仲が良く、お互いに助け合い、励ましあうような、まともな家族でした。その市営の体育館に一人で来ていた私は、あまりにも眩しいので、その家族に一緒にバスケをしようと誘われたのですが、断って、ロングシュートをしていたのを思い出し、「ああいう家族だったら悲観的にはならないだろうな」と考えていると、自分の悲観のルーツは、自分の家族の空気にあったのではないかと思いました。

その違いというは、NHK連続テレビ小説の「あさが来た」の奥様がしきっていて、周囲が逆らえない暗い山王寺屋が自分のいた家だとすると、旦那がみんなの意見は聞くし、周りも自由に意見が言える明るい加野屋がクラスメートの家でした。彼の家は風通しが良く、自分の意見が言えて、筋が通っていれば話が通るような家なので、悲観的にならないでいられると思うのですが、私のいた家は、祖母が方針を決めてしまうと、周囲は全く逆らえず、方針が祖母の意思で固定されて変更が効かず、一度問題が生じると、悲観的にならざる終えない家でした。なぜなら、祖母は問題が起きると、すぐに他人の我慢に頼る人でしたので、一度問題が起こると、出口がなくなってしまい我慢するしかないのが私のいた家だった。

よくよく考えてみれば、私には義理の姉が4人いたのですが、その内、2人は、私が辛い時、励ましてくれる姉だったのです。その姉達がいた頃までは私は明るかったのです。一人目の姉が大学へ行き、もう2人の姉が結婚していなくなると、義兄の妻である私の嫌いな姉だけが残り、私の心は途端に暗くなってしまいました。彼女と私がぶつかるたびに、祖母は私に我慢を強いました。

そういう家にいると、何か問題があったら、すぐ我慢です。出口がないんです。悲観するしかない。逆らっても山王寺屋の奥様と同じで祖母は人の話は聞きません。絶望するしかないのが、あの家でした。さしずめ、山王寺屋の奥様に逆らえない旦那が自分だったと思います。同時に山王寺屋の旦那と同じように最後には、自分を虐げた者に、怒りをぶつけることになります。

私は、問題が起こると、そこから出口があると信じられない家にいたから、悲観的になってしまうんだと、山王寺屋の暗さ、出口のなさ、腰の重さと、それとは対称的な加野屋の明るさ、物腰の軽さ、柔軟さを見て思いました。そう考えたら、出口があるんだと考える事が出来るように思えます。加野屋の様にお互いが助け合う家であれば、苦しい事があっても不安にはならない。でも山王寺屋のように辛い事があっても、誰も助けてくれず、忍耐で片づける家では、不安で辛くて苦しい。問題があっても助けてくれる。みんなで助け合うというような、まともな家に生まれれば、子供も明るく、そして、楽観的に世の中を歩く事が出来るでしょう。

私のいた家は、そういう家ではありませんでしたが、私は加野屋のように明るく、柔軟性があり、お互いに助け合う事を是とするような、そういう人間でありたいと思います。そして、そういう風に考えて、心を軽く、楽観的に生きる事が出来たら言いなと思います。私のいた家は、その意味で酷すぎたと今は思います。酷すぎる家にいたから、それが頭の中で習慣づけられて、条件反射的に暗くなってしまう。または、根拠のない明るさがない。人間は知らない事ばかりです。知らない事にいちいち不安になっていては、明るくはなれません。時には根拠なく明るく考える事も必要です。しかし、私がいた家では、正当な理由があっても、私の意見は争いを無くすという名目の元に切り捨てられました。だからこそ、私は自分に正当な理由があっても諦める癖がついてしまった。私は、あの家からでたのに、そういうあの家の空気に未だに支配されている。そうであってはいけない。ダメな家だったけど、そのダメな考え方を頭の中で引きずっている自分も良くない。そういうダメな家の空気を否定し、自分なりの考えを持つべきだと、思いました。