SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

「真実」よりも「目立つもの」がエラい社会は腐敗する。

デモなどに行くと、事実にそって、きちんとした意見を言っている人がいるが、世の中には広まらない。というのは、その価値を理解できる人が限定的だし、理解できる人の手元に、テレビなどが報道しないため届かないからだ。

このような知性の劣化、インフラの機能不全こそ、日本の政治腐敗の真の温床でである。私は思うに、今の世の中は、マスコミ等の情報インフラの機能不全などで結果的に、真実よりも目立つものエラい社会になってしまっている。

そして、目立つものがエラい社会というのは、目立てば真実ではなくていいわけだから、腐敗が横行するのである。要するに高名な大学教授が、あからさまに嘘を言うのも、真実よりも目立ったものが勝ちの社会に適応した結果とも言える。

通常、偽りを言えば糾弾され非難されるが、それが偽りだと認識するのには、知性が必要だ。そういう知性が劣化し、または、マスコミが必要な情報を提供しないために、判断が出来ず、批判することが出来ない状態に陥ってしまうという状況の中では、嘘を言っても批判されず、腐敗し放題なのだ。

そして、その腐敗を助長するのは、目立ったら勝ちという風潮、表現力の高いものが勝つという流れ、表現力が高ければ、他の要素を無視しても尊重されるような世の中、それは困ったことなのである。真実が蔑ろにされ、無視される中で、間違った道が選択され続けることで、社会が腐敗していくのだ。目立った者勝ちの社会の弊害は、そういうことなのである。

いいものと悪いものを見分ける分別、それが今、問われている。それは目立ったものがエラいという発想の対極にある。より知性に基づいた理性的な判断が求められる。だからといって、難しい喋り方が重要なのではない。何が正しいか常に疑問を持ち、知性を働かせて、事実をしっかり見据える姿勢、単に目立っているだけのものと現実の区別をつける事を常に意識する理性的な対応が出来てこそ、世の中の腐敗は正されるのである。それが出来ないと、目立つだけで認められるような軽薄な社会では、人はそのぬるま湯の中で腐敗してしまうのである。事実に基づく厳しい批判にさらされてこそ、良い意見が尊重される土壌となり、それが良い社会を育てることになるのだ。

目立てばエラいでは、社会は腐る。目立たずとも、中身のあるものを見定める鋭さが、世の中を良くする。そういう目を磨いてこそ、ほんとうの意味での社会人といえるのではないだろうか?