SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

私が間違いを認める時

人は酷い間違いをしてしまった時、その事実を認めたがらないことがある。子供の頃、天才の義父と話している時、私は酷い間違いをしたと思い知らされることが多々あった。頭のいい人と話すと、大抵、頭の悪い人間は恥をかくものなのである。それは仕方がないのだ。ただ、その時、間違いを認めるか、それとも、正しいといい張るかで、その人の品格が問われる。私の場合は、「自分が間違ってしまったことは明白だ。この上、それを認めず恥の上塗りをするのは、見苦しい事この上ない」と考え、間違いを認める。私は、そういう時、相手から顔を背け、天を仰ぎながら、一考した後、相手の方に振り向いて「そうだそのとおりだ。自分は間違っている」と言う。非常に恥ずかしいので相手から顔を背け、それでも正しいことは正しいとしなければならないと天を仰ぎ、決心して振り向き間違いを認める。私はそういう自分の間違いを認める自分は好きである。なぜなら、それは公正という事だから。

子供の頃、私は弱かったので強い子に不公平なルールを設定され苦しんでいた。だから、不公正なことに怒りを感じるし、公正であることは大事だと思う。だから、私は間違ってしまった時、それを認めるのは、不公正なことに対する反感からそうするのだ。つまり、私が天を仰ぐのは、弱かった子供時代、不公正に苦しんだ自分自身に対して「ああ、そんな事はしてはいけないよな」と過去の自分に対する約束を守るためなのだ。この約束を守れない自分は、私ではなくなってしまうと思うからだ。だからこそ、私は間違いを認める。過去の私を裏切らないためにも。そして、その約束を守る自分が好きなのは、そういう不公正を排して、正しいことが行われる世界を望んでいるからに他ならない。ガキ大将のいた頃は、強い子に虐げられる私のような弱い人間を公正に弁護してもらった。私は、あの時のガキ大将の公正さが大好きである。私は弱者を救う、そう言う公正さに敬意を持っている。だから、間違いを認めない自分に対して敬意を持てない。それは、過去の私との約束であり、それは、私が私であるための証のようなものだ。よって、私は間違っているとわかれば、それを認める。私は醜く傲慢な強者であるよりも、美しい方がいい。「強いよりも美しい方がいい。(過去を思い出し)あのような醜いものになるのは嫌だ」と、思うのだ。
 

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