SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

賢明な人にバカと言われても怒らない度量

人の心を大事にする事は、価値がある考え方だと思いつつも、それを過剰に求め、正統な批判を退けるのは、よくないことだと思う。私の義父は、頭が良かったが、それ故に簡単に人を馬鹿と言ってしまい、社会的には失敗した人だった。だが、義父のような人間を見て思うのは、彼は真実を追求したかったんだと思う。だから、自分の正しさを力説し、說明した上で他人をバカと正確に批判した。

私に対しても、義父は、よくバカといった。だが、義父が天才だと分かっている私は怒らなかった。悪気で言っているのではなくて、真実を適切に言っていると私は考えることにした。だから、バカと言われたことに対しては、それが何故ダメなのか、私は、義父に聞いたりもした。(義父のように有能な人に質問するのは、面白い)そういう時の義父は、なんとなく嬉しそうだった。私のような自分の感情よりも真実を尊重しようとする人間が天才の周りに沢山いれば、恐らくは、天才も生きやすいし、その才能を活かせると思う。だから、バカはバカなりの度量というものがあると思う。賢明な人間の意見に耳を傾け、それを尊重するという度量が。

かのソクラテス無知の知と、言っているように、人間は全能の神ではないのだから、どこかしら欠けたところがある。その欠けたところを自覚し、それに対して謙虚に向き合う姿勢こそが本当の知性だとソクラテスは言っているのだと自分は思う。欠けたところがあるのが人間の現実であり、その現実を直視せよと、そういうことが直視できなければ、愚かなままだとソクラテスは言っているのだと思う。

さて、日本の政治を見てみると、どうだろうか、政治家が悪いと言っている人がいるけれども、実際には、国民がバカで愚鈍だからこそ、バカで愚鈍な政治家を選び、その結果、悪政という形で失敗する。もっと言えば、企業(スポンサー/広告主)の手先となったマスコミを何の疑いもなく、まるで、無垢な少年のように信じこみ、誘導されて独裁政権の誕生を許してしまうなど、バカで愚鈍な国民と言われても仕方がない。でも、そういうバカで愚鈍な結果となった選挙結果をマスコミはなんて言うか?「国民はとてもバランスの良い、賢明な判断をしたと思います」と言うわけだ。実際には「国民はとてもアンバランスで、間違った判断をし、単なる独裁を、ねじれ解消というマスコミの詭弁にやすやすと騙され独裁政権を誕生させてしまった」というのが正確だが、それをまったく正反対の評価をするわけだ。独裁がバランスの良い判断なんて、あり得ないのに、そう言う事をヤツラは抜け抜けという。

でもバカで愚鈍と言われて、みんな腹が立つでしょ。でも、それが現実なんだよ。そこに謙虚に向き合って、現実を直視しない限り、良い政治は望めないんだよ。間違ったところを理解しないと正解にはたどり着けないんだよ。だから、バカで愚鈍と言われても、怒らない。それは悪気で言っているんじゃなくて、真実を言っているんだと捉え、謙虚にそれに向きあい、それに対して、正そうとする姿勢こそが、本当の賢さであり、知性なんだ。人は全能の神ではないのだから、そういう度量を持たないと、いつまでたっても同じ所をグルグル回って、間違ったところに留まり続ける。正しくありたい、現状を良くしたいと思うのならば謙虚になる必要がある。その謙虚さこそ、真の知性だとソクラテスは言っているのだと私は思う。