SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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私がACTAに反対する理由

今日は、反ACTAのデモがある。それにあたって、私がなぜACTAに反対するのかという事を書いてみたいと思う。私がACTAにような言論統制的なものに反対するのは、言論統制というものを家の中で体験してきたからである。私のいた家では、祖母が権力を持っていて、祖母が嫌なことは、徹底的に黙らせることが出来た。祖母は自分が嫌だという主観的な目的を、「家のため云々...」と言う人で、「自分が嫌だ」という私的な目的を「家」という公共的な目的にすり替えて主張する厄介な人だった。それは、過去にあった治安維持法と同じで「治安を守る」と聞けば、それなりにもっともらしく聞こえるものの、実際は当局にとって邪魔な主義主張を弾圧しているのと全く同じで、恣意的な裁きだった。

そういう個人の私的な目的のために公的に裁かれるという事は、常に祖母の考え方にそって生きなければならず、そうでなければ、何も言えないので、自由がなくなる。つまり、祖母の要求する範囲でしか主張できなくなるのだ。それは空気に鉛が入っているかのような息苦しさだった。祖母は極端に対立を嫌い、それ故に私は自分の立場が蹂躙された時に、私には反論が許されなかった。私は小学校に行った時、先生に向かって反論する同級生を見て、「よくそんなことができるな」と内心ヒヤヒヤしたのは、その子の家では自由に意見が言えたからなのだろう。私には自由がなかったから、そんなことを言えば、まっさきに黙らされた。

そんな私はよくイジメられた。何度いじめても反抗しないからである。私が反抗できなかった理由は、反抗すると祖母の権力によって家の人間に集中的に悪者にされるという恐怖感が常に襲うからである。だが、大人になった今おもうと、子供の頃の私は正しかった。私が要求していたことは、とても小さなことであり、また正当であった。間違っていたのは祖母たちの方であった。他人が自分たちの考えの通りでないと満足しない贅沢な彼らは、私が実質的に他人に迷惑をかけていないのにもかかわらず、自分達の考え方と違うといって、私の些細な要求ですらも否定した。恣意的な裁きが肯定できてしまうのは、そのような裁きによって他人の権利を否定できてしまうことが悪ではなく正義となってしまうのである。正義と悪が逆転するのだ。他人の自由を不当に奪う人間が正義となるのである。

私が苦しかったのは、学校では権利を主張できないばかりにイジメられ、家に帰ってくれば、ほんの些細なことですらも、自分たちと違うといって否定され苦しめられる二重苦を味わうことであった。それもこれも、恣意的な裁きが肯定され、自由にものが言えなかったことが原因である。私は祖母が死んだ時、悲しむと同時に肩の荷が軽くなったのを感じた。そして、今まで私を蹂躙してきた元家族に厳しい言葉で批判をした。あの家の人間に対して私がハッキリと批判できたのは、後にも先にも、あれが最初で最後である。それ以降、あの家には一度も帰っていない。私にとってあの家は不自由の象徴であり、忌み嫌うものだったのだ。

だから、言葉を奪われることが、どれだけ人の権利を蹂躙するものか、とても良く知っている。恣意的な言葉の裁きは、人の心から自由を奪う。それは、空気に鉛が入ったような重苦しさになるということを私は身を持って知っている。だからこそ、私はACTAに反対する。ACTAの条文を見た時、私は手が震えた。自分の過去がよみがえるような内容だった。ACTAは、大企業にとって都合のいい知的財産権の解釈が可能なように作られている。それは、大企業に大きな権限を与える。そして、それは私を苦しめた祖母と同じなのだ。まるで祖母が墓の中から蘇り、今度は家ではなく国家権力を伴って人の言葉を奪いにくる。見た目は著作権保護だが、その適用範囲の広さと、それに基づく裁き方が著作権者の訴え無しで逮捕できるという警察の恣意的逮捕を可能とする条文。祖母が自分の私的な論理を家という公的な論理にすり替えたのと同じように、ACTAは言論というものを著作権に置き換えて規制できる程、強力にできている。そもそもが著作権者の権限を拡大する設計になっているのだが、その拡大範囲の広さと権利の行使における権限の強力さが、個人の言論にまで適用できるポテンシャルを持っているのがACTAの条文なのだ。だから、私はACTAに強く反対する。自由のために。これは、単なる著作権の問題ではなく、自由の問題なのだ。自由を普通に持っていた人にはわからないだろうが、言葉が奪われるということは、自由を失うことなのだ。ACTAは人の言葉を奪うのに十分な権力を行政や大企業に与える。

日本はACTAに既に批准してしまったが脱退条項もあるし、6ヶ国批准しないと発効しないので、他国にACTAの問題点をアピールするためにも大きなデモがあった方がいい。それをYouTubeで世界中の人にみてもらって、ACTAが実行されないようにする事が大切だ。重ねて言うが、「自由な言論=自由」なのだ。ヨーロッパで大規模な反対デモが起きたのは、偶然でも勘違いでもない、あそこら辺では、ついこの前まで自由がなかった国が多かったからなのだ。だから分かっている自由のない世界を。その危機感が大規模なデモになったのだ。

【参考資料】

 Wikisource:ACTAの条文(特に23条と27条が問題)

 ACTAについて簡単にまとめたもの
 http://d.hatena.ne.jp/skymouse/20120807/1344301093 

 Wikileaks:日本政府とアメリカとのACTAに関するやり取りの公電の日本語訳
 http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-71b0.html

  • 2. STOP A.C.T.A. Demo in Köln am 25.02.12 - am Neumarkt versammelt.mp4

[告知] 9/9(日)の東京・反ACTAデモについてのお知らせ
 主催者:Anonymous Nippon
 開催日時:2012年9月9日(日)
 開催地 :銀座(東京都中央区
 集合場所:日比谷公園 中幸門(東京都千代田区)
      (交通:地下鉄丸ノ内線・千代田線「霞ヶ関」下車徒歩2分、
          地下鉄日比谷線「日比谷」下車徒歩2分、
          JR「有楽町」下車徒歩8分)
 集合時間:12時40分
 出発時間:13時00分
 行進時間:約40分

 解散場所:水谷橋公園
 

9月9日 秋葉原・反ACTAデモ
 開催日時:2012年9月9日(日)
 時間  :午後2:00〜午後5:00
 開催地 :秋葉原駅前(ラジオ会館前)

場所と時間が近いので両方出席できたりもします。