自由には責任が伴う。これと同様に己が決断したことには少なからず、その決断をしたものに責任が生じる。この原則が守れない事が何を生むのかというと、独裁であり、それが政治ならば、暴政である。
野田首相、原発事故の責任を取らないと閣議決定
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120629-00000301-kinyobi-pol
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- 政府は6月29日、「政治的判断を必要とする国政上の重要な問題であり、内閣の首長である野田内閣総理大臣がこれに関与し責任を持って判断を行うという趣旨で述べた」との答弁を閣議決定したのだ。その一方で、事故発生時の賠償については「原子力事業者がその損害を賠償する責めを負う」などと従来の枠組みの説明にとどまっている。
- 「首相の任務として再稼働を決めた」が、「自分のした事の結果、事故が起きてもその被害について責めを負う気はない」ということだ。
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要するに野田首相は、責任のとれないことを決断し、もし、原発事故が起きた時、その責任を国民に負ってもらうと明言しているようなものだ。どうしようもないダメ人間。そのダメさ加減を周囲が利用している。モラルの欠片もない。恥ずかしいとも思っていない。野田首相は基本的に弱い人間なのだと思う。弱いからこそ、目先のことが恐い、そこに踏みとどまって、戦うということが出来ないので、回りにいる官僚の言いなりになる。やることは、諸外国にお金をばらまき、周囲にご機嫌を取りながら、国内では安全な場所にいて、国民に犠牲を強いる。
私は野田総理に「あなたはどこにいるのか?」と聞きたい。「首相公邸」と答えたら、「その場所は責任をもって決断する人のために建てられた建物、あなたのような人が住む場所ではない。よって、あなたは、この公邸から出ていかなければならない」そう言いたい。
今、責任のある決断とは、国民を放射能の危険から守るために、国内のすべての原発を停止し、地震に対する備えを万全にして、そのうえでバックアップ電源を使った電力の安定供給を目指しつつ、国民には節電を呼びかけるのが、本当に責任ある総理の「決断」である。