SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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利権の温床、それは私達の絶望

3.11以降、日本がどのようにしてダメになっていったのかということが明らかになった。それは、官僚と報道機関が結託して、国民を悲観させ、絶望させて無抵抗にすることで、利権を貪るという構図だ。私はこれを絶望サイクルと呼ぶ。

国民が絶望する→抵抗しない(デモをしない)→利権が温存される→不正が常態化する→最初に戻る。

絶望は、ある意味、改革のために努力しない国民を生み出す。十分な努力をしないのだから結果が出ないのは当たり前なのだが、その当たり前のことを、官僚やマスコミの全責任にすることで、自分たちがいかに改革のために必要なことを怠っているか自覚していないのだ。そして、その怠け者を増やすために彼らは必死になって情報操作をする。それによって利権が貪れたからこそ、彼らはそれをやるのだ。

だから、あながち、全責任が彼らにあると考えるのは危険である。彼らは、私達民衆の弱さを利用しているにすぎないのだ。絶望を他人に植えつけ、無抵抗にするのに余念が無い。そして、自分たちの術中にはまった国民を上から眺めて連中は馬鹿にしているのだ。この程度の情報操作に騙されちゃって馬鹿だねと。

でも、今はもう分かるはずだ。私達が絶望したのは、それは、作られた絶望に私たちが踊らされていたからだということが。政府や行政機関が平気で嘘をいう連中だってことが、今回の3.11でハッキリ分かったと思う。だから、どうすればいいのか?

まず、絶望して諦めたら、そこで終わりだと考える→日本は変えられるという希望を持つ→改革のために努力をする→その努力を継続して連中の利権構造を突き崩し、利権を野放しにしない。

大事なことは、諦めないこと、諦めたら、彼らの思うツボであり、ある意味、連中が利権を貪ることを認めたことになる。正しいことをするためには努力しなければいけない。その努力を今まで怠ってきたからこそ、今の問題がある。他の国の人々は、不満があればデモでも何でもやって、それを継続し、改革のために努力をする。努力するから報われる。だが、努力せず、ただ他人のせいにしている私達に報いはない。そういう人間の末路は惨めだ。惨めになりたくなければ、諦めず抵抗し続けることだ。

さよなら銀河鉄道999

もう絶望という牢獄は沢山だ。他人を絶望に陥れる権威主義者も、実は絶望している。

05m:30sから
パルチザン:どうした?わかいの
鉄郎    :もう歩けません。俺に構わず行ってください
パルチザン:生きたかったら、命ある限り歩け、
       生き続けたかったら、命ある限り戦え
       気力を失ったら死ぬぞ。

12m:30s
パルチザンA:しかし999が来ているか分からないぞ
パルチザンB:メガロポリスも、中央ステーションもヤツラに抑えられている。
       それでも行くのか
鉄郎    :ええ
パルチザン:若いっていうのはいいもんだ、
       どんな小さな希望にも自分のすべてを賭けることができるからな
       みんな、わしらのせがれが行くと言うんだ。行かせてやろうじゃないか。

私は、老パルチザンのようなオヤジでありたい。絶望して何が得られるというのだ。何も無いのではないか。なにもないのならば、わずかでも可能性がある方に賭ける。それが結果が出せる人間の考え方だ。パルチザンの仲間は、この僅かばかりの鉄郎ののぞみに命を賭ける。そういう賭けが出来る人間こそ、チャンスを手にするのにふさわしい。賭ける勇気もなく、ただ他人の文句を言っているだけの奴に何が出来るというのか?せいぜい酒場でクダを巻くのが関の山だ。そういう惨めな大人にはなりたくない。官僚たちに、ここまでコケにされて何の抵抗もしないことの方が情けない。日本の母親の教育と外国の母親の教育は違うのだそうだ。日本の母親は、弱いものがいじめられていても、それを守らず素通りすることを教える。それは自分たちに危害が及ばないようにするためだ。外国の母親は弱いものがいじめられていたら、それを助けないと怒られるのだそうだ。要するに弱者を助けない男はクズと教えられるらしい。私は、クズにはなりたくないし、マザコンでもない。よって、抵抗する。それが当たり前だから。それにそうやって弱者を切り捨てていった先にどんな社会が存在するか考えるべき、非常に冷徹で冷たい社会が残る。それでもいいのかってことを言いたいのだ。実際、今の日本はそうなりかけている。ダメにならないためには、そうならないための努力をするべきなんだよ。その努力は、どこの国でもやっているんだ。私たちはやっていない、まだ全然十分ではない。努力していないから報われない。実はアタリマエのことなのだ。アタリマエのことを当たり前にしよう。それが大事だ。皆がそう考えるとき社会は変わる。皆がそれを馬鹿にしたら、私たちは飼いならされた豚になる。自立した市民か、飼いならされた豚か、どちらかを選べと聞かれたら私は市民を選ぶ。中間はない。

私達が絶望すればするほど、連中は甘い汁が吸える。私達が怒り抵抗し続けることで連中に
甘い蜜を吸わせないことが大事。連中にとって、国民の絶望による無抵抗は、蜜と同じなのだ。そうやって甘やかし放題甘やかしてきたからこそ、原発事故のような事が起こったとも言えるのだ。再び原発事故を起こさせないためには、浮かび上がった利権構造を崩壊させ、放置しない事が大切。巨大な利権構造だが、3.11以降、ハッキリ見えるようになったことが大きい。見えてしまえば、尻尾を捕まえて、一つ一つ潰せばいい。民主主義にはそれが出来る。諦めるべきではない。どこの国でも、改革は大変なのだ。努力もせずに諦めるのは卑怯者だ。やるべきことをやっていない。やるべきことをみんなでやって、それでも出来なかったら仕方が無いけど、まだ、日本人は、十分に改革のために努力をしているとは言えない。抵抗の規模が小さすぎる。まだまだ努力不足である。努力が不足しているのだから、結果が出ないのは当然であり、それを他人のせいにしてはいけない。

日本人は、まだ怒るべきことに対して怒るというアタリマエのことができていない。怒り方を知らないと言ってもいい。怒りの恐怖によって連中の背筋がまっすぐなるように強い怒りが必要だ。国民が甘いから、連中の背筋が曲がる。そして、その甘さが弱者を苦しめる。だから、怒らないとダメだ。もっとロックじゃないと駄目だ。という訳で以下の曲で締めたいと思う。

FRYING DUTCHMAN humanERROR