SKY NOTE

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新興メディアが既存メディアを倒すための条件

新興メディアが既存メディアを倒す条件を考えてみた。

1.資金

  • 新興メディアは国民の立場に立っているものの、収益源に乏しい、これはビジネスモデルの問題で新しいビジネスモデルが十分に成熟していないからだ。しかし、ネット広告モデルにその一端が垣間見える。動画などにもCMを挟み込むような形で広告ビジネスモデルを展開すれば良い。国民の側に立っているのだから、その情報の価値が認知されれば、多くの人々が、その映像や記事を見に来るだろう。そこへ広告を打てば良い。これは既に現在進行形で起こっていることで、テレビがつまらなくなっているのも、彼らの収益源がネット広告によって奪われているため、予算不足でワンパターンな番組が増えているからだ。


2.見た目(iPad3の表示品質に期待)

  • 人は見た目でクオリティを判断することが多く、既存メディアがショーもない内容の番組を作っていても、画質がキレイだと、ある程度説得力が出てしまうものなのだ。文章メディアもそうで、キレイな活字で書かれていると、どうしようもない記事ても、なんだか説得力が出てしまう。つまり、現行のネットメディアの弱点は、モニターの解像度が低いことにある。だが、iPad3に搭載されると言われている液晶ディスプレイは2048×1536となると言われており、これは、出版物並みの活字表示とハイビジョン並の映像表示が可能ということを意味する。ビデオ配信の場合、問題となるのはサーバコストだが、これはARMベースのサーバが2013年あたりから、導入コスト1/3の商品を出すという、つまり、今と同じコストで3倍の性能が出せて、消費電力は1/9となる。
  • これに2012年にドラフト案が出てくると言われているH.265規格による容量半分のビデオストリーミング配信サービスが融合すると、総合的な配信能力は、同じサーバコストで実質6倍になる。これは現在の640×480ドットのビデオ配信をフルHDレベル(1920×1080)にしてもサーバコストは今と変わらないというわけだ。
  • iPad3による高解像度液晶タブレットと、ARMの低価格サーバとH.265による半分の容量で済むビデオ圧縮規格により、出版物並の活字品質と、ハイビジョン並みの映像配信が可能となり、その結果、2013年以降はネットメディアは、既存の新聞やテレビに見劣りしない表示品質を獲得することになる。これにより、見た目による評価は、2013年以降は同等となる。

3.利便性(既に便利ではあるが表示品質がまだ十分ではない)

  • 既存メディアの欠点は、テレビ放送であれば時間が選べない事だ。既にこの欠点はUSTREAMなどを見れば、解消できる事がわかる。だがUSTREAMの画質が低いので格下メディアと見られがちである。画質が同等となれば、評価も変わる。画質が低いという欠点がなくなれば利便性のみが浮き上がってくる。出版物はかさばるのが欠点だが電子メディアは、その問題が解消されている。だがリーズナブルな価格のニュースサービスがないので、現在はまだ普及していない。現状でも、十分にリーズナブルなサービスが出てくれば、十分普及するレベルに達しているが、ディスプレイの解像度が少ないので、やはり格下メディアに見られてしまう。利便性はあっても見た目や値段に問題がある。


4.コンテンツの質と量(Amazonによる流通プラットフォームに期待)

  • ネットのコンテンツの質と量は、基本的にネットが無料メディアから始まったせいか、有料サービスがまだ十分に定着できていない。よってプロは既存のメディアに集中している。プロが入ってこないとコンテンツの質と量は確保できない。そこで有料メディアの流通が重要となるが、そのためには、共通の流通プラットフォームが必要である。これはAmazonの日本での出版サービス開始を見るべきだと思う。共通の流通プラットフォームによる大きなパイの中にプロが有料コンテンツを提供するという形が出来れば、コンテンツの質と量が担保されるようになる。

5.信用

  • 既存メディアは3.11以降、ネットユーザーを中心に信用されなくなっている。だが、それは社会全体ではない。しかし、GoogleTVが来年になると殆どのテレビに搭載されるとのことなので、テレビの中にネットが入ってくる状態になる。つまり、全てのユーザーがネットコンテンツに触れる機会が生じ、それが結果としては、多くの人々が見るという信頼に結びつく。特定の限られた人が見るメディアから、皆が見るメディアに移行することによって生じる信用、そして、その情報が有用であれば、そちらが優れていると人々は思うだろう。つまり、クズみたいな御用報道をしているニュースメディアは信用を失う。比較できるものが横にあれば、ダメなものは廃れるものだ。今は寡占状態で、それがないから、連中には仮初の信用があるだけ、それだけのこと。

まとめ

  • 以上の問題点が解消されるのには恐らく2013年辺りまで待たないといけないだろう。ある意味、見た目がよくなれば、品質的に同等とみなされ、そこにプロが有料プラットフォームを介して入ってくれば、コンテンツが揃うようになり、かさばらず、いつでもどこでも見れるという新しいメディアとしての優位性が浮き立ってくる。その過程で信頼を失った既存メディアは、新しいメディアとの競争を余儀なくされる、最終的には国民よりのニュースを書かないと売れない状態になる。なぜならば、テレビであれば有限な電波、新聞であれば配達インフラ、これらがすべてネットでは意味がなくなる。寡占状態が情報支配体制を維持していたが、それがネットで崩壊することにより、選択肢が広がった結果、国民よりのニュースを書かないと読まれなくなったり、見られなくなったりする状態になる。つまり、主導権が供給サイドから需要サイドに移行するのである。結果として、今までのように情報をコントロールして社会を支配するというモデルは通用しなくなり、その結果、日本は改革が出来る社会へ徐々に移行することになる。