SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

なくせる不安となくせない不安

不安には、なくせる不安と、なくせない不安がある。
不安を溜め込みやすい人は、なくせる不安をまるで現実であるかのように錯覚し、自分で自分を苦しめ、なくせない不安も過大に評価するか、それを分析せず、恐れるだけである。不安を二種類に分けるとすれば、二種類ある。
 
バーチャルな不安:自分で作り出した不安なので、心がけ次第でなくせる不安
現実にある不安 :現実に対処しない限り、なくせない不安
 
不安を溜め込んでしまう人は、これらの不安の内、バーチャルな方を消し去る事が出来ない。少なくともバーチャルな不安は、実態がないのだから、セルフコントロールで状況を改善できる。もっと言うと、不安を溜め込むのは、バーチャルな不安と現実の不安が融合しているからである。これを分離する作業を始め、バーチャルな方を自分の考え方次第でコントロールできると言う自覚を持つ事である。
 
重要なのは、仮想的な不安と、現実的な不安を分離し、それぞれに対して対処する事である。少なくとも仮想的な不安を除去すれば、不安の半分は減るのである。現実の不安は、それを具体的に調べ、分析する事によって、問題を定量化できれば、無限の不安が、有限になる。つまり、不安を限定化できるのである。しかし、一見、文章にすると簡単な事のように思える現実と夢想の分離は、子供の頃の私にとっては難しかった。恐らく私と同じ状況に陥れば、大人でも難しいだろう。
 
その状況とは、祖母の権力に合った。祖母は、全体主義的な人で、家と言う全体の為に個を否定しても良いと言う考え方の人だった。それに対し、義父は、西洋的な合理主義者であり、かつ個人主義であり、日本人らしくない発想の人だった。そういう状況の中で、子供の頃の私は精神的に参ってしまった。とても強い不安に襲われ、それが制御できないのだ。その原因は、祖母にあった。祖母の全体主義と言うのは、人間に対する絶望から生まれている。つまり、不安から生まれた思想なのだ。故に、個の存在を単なる争いの種としか見ていない。故に自分の持てる権力を用いて、全体の利益の為に個を否定するというスタンスをとる。それは全体が破綻する事がないような些細な対立であっても、それを否定する。自分自身の不安(妄想)を自らの権力を持って実現できてしまうところが、祖母と言う人の恐いところだった。つまり、子供の頃の私にとって、祖母の妄想(不安)は、現実だった。それは、祖母の権力で妄想が実体化してしまうからである。子供の頃のわたしから見れば、まさに現実なのだ。妄想を正当化できてしまえる段階で、私の正当性は意味のないものにされてしまう。承認されないものは、価値が生じない。故に私にとって、他人の不安(妄想)でしかない些細な事であっても、それを現実として捉えなければいけなかった。つまり、祖母の権力によって、仮想的な不安と現実的な不安が融合していたのだ。これにより、私は、仮想的な不安と、現実的な不安を分離できなくなり、気の持ちようで変えられる仮想的な不安のコントロールが出来なくなった。
 
しかも、他人の根拠が希薄な不安は、定量化が出来ない。故にわたしは他人の意思に対して無限の不安にさいなまれる事になる。元々、そんな事は無視していいのに、たまたま身近な人間に権力があったりしたものだから、問題が複雑になってしまった。他人の意識を無視できない...要するに自己と他者の分離が出来なかった。祖母の言っていた事は、私の不安の原因はお前のせいだから、お前は黙りなさいと言う事だった。基本的にはそういう事。彼女の論理は、家の平和を壊すなと言っていたけれども、彼女にとっての家の平和は、自分の心の平和を指すのであって、現実の家の平和の事ではない。実際、子供の頃の私は、そういう人間の下で苦しかった。本当に家の平和が実現されるのならば、わたしの心は平安でなければいけない。しかし、実際は非常に苦しかった。彼女の論理には個の尊厳が存在せず、出口がないのだ。他者と自己の融合、家と自己の融合によって、自らを正当化し、自己と融合しえない異質な他者を否定する事しか出来なかった人だったと思う。
 
その融合の枠の中にはめられた子供の頃のわたしは、自己の意識と他者の意識の融合を余儀なくされ、精神的に辛くなり、不安をコントロールできなくて自滅した。不安がインフレするのは、心の中の実体のない不安を分離できなかった事によるものだ。現実的な問題は合理的に判断すればいい。しかし、無制限の意識を持つ、個人の勝手な思い込みが権力を介して実体化して現実問題として入り込むような状況では、仮想的なものであっても現実として認識せざるおえない。それが、私がどうでもいい他人の不安でしかないものを無視できなかった理由だった。そして、それは、他人の思い込みと言う根拠のないものから生まれているから、それを自分で制御する事は出来ない。それ故に不安が無限になる。今にして思えば、それは祖母の妄想だと割り切ればいいのだが、割り切ろうとすれば、黙らされて、何も出来なくされてしまう状況では、難しかったのだと思う。だから、今の私に言える事は、現実と仮想の分離は、まず、他者と自己の分離から始める必要も生じると言う事だ。そして、分離できない理由について客観的に分析するなどして、対処する必要がある。子供の頃の私は、そこまで考察が及ばなかった。
 
子供の頃のわたしのミスは、祖母の思い込みをおかしいと思いながらも現実だと錯覚してしまった事。現実でも何でもない、1人の老人の戯言に過ぎなかったのだ。幻を現実だと錯覚する事で、不安の定量化が不可能となり、不安のインフレを招いてしまった。