SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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やりたくない事をやる時の考え方

このブログの「権威主義者」の実態は「臆病者」であるを読み返していたら、自分のイメージしている事と、現実が実は違っているんじゃないかと思うようになった。
 
つまり、オーバーなイメージによって、必要以上に嫌だと思っているのかもしれない。まるで臆病者がどうでもいい事を必要以上に恐れるように、嫌な事も、必要以上に嫌な事として頭の中で悪いイメージを作り出しているだけではないか?そう疑ってかかると、意外と大変でない事かのように思えてくる。
 
私が臆病者になったルーツは、些細な事を大きくしてしまう祖母の影響があったのだが、その祖母の頭の中は、問題を過剰に捉えて、それを権力のみで解決する姿勢にあった。つまり、祖母の頭の中でオーバーなイメージが展開され、その意思にそった権力の発動が、私にとって辛いイメージとなって、問題が起こるたびにビクビクする。
 
他人の過剰なイメージによる過剰な行動が、本来、他人の「妄想」に過ぎない事を「実体化」し、それによってダメージを受け続けると、いつしかそれを連想する事で、本来の問題のレベルと、私の心の中にイメージされる問題のレベルに差が生じる。しかし、客観的に捉えると全然問題のない些細な事であり、別に大変でもない事なのだ。
 
例えば、洗い物をすると、大変だなと思うのだけど、実際には15分程度の仕事に過ぎない。だけど、疲れている時などは、非常にやりたくないと思っているけど、実際には15分だけなのだ。やりたくないと30分間悩んでいる方がよっぽど大変である。
 
わたしは子供の頃から、テレビの中で主人公が嘘を言うなどして、それがばれそうになると、テレビを消して、部屋から逃げた。つまり、問題が生じると、それを解決する手段が全くない子供時代(権限が全くない子供時代)の私の心の中のイメージが、本来何の関係もないテレビの中の物語にまで拡張されて、逃げ出すと言う非常に傍から見るとおかしな行動をしているのだ。それを客観的に見て思うのは、嫌な事と言うのは、頭の中で作られ、現実とは関係がない事があるという事。よくよく考えてみれば、テレビの中の物語の人間が困ろうが死のうが、自分には何の関係もないのだ。黙って座って見てればいい、それが怖くなってしまうのは、さすがにおかしい。
 
つまり、嫌だとイメージしている事と現実は関係ない。嫌だと思うから嫌なのだ。たしかに嫌な事ってある。でも、頭の中で実際の問題よりも過剰に恐れてしまう事がある。そう考えると、現実と嫌な事を客観的に眺めて「なんだそれほどでもないじゃないか」と思える事は、特に嫌な事でも何でもないんだなと考える事にしようと思う。本当に嫌な事は大変だが、嫌だと思っている事の1/3くらいは、多分、妄想によって嫌な事なのだ。客観的に見れば、大した事ではないのだ。