SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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正しさは「点」ではなく「線」

私は真の正しさは、点ではなく線だと思う。

過去の独裁者を見ていると、ある一点に集中し、それ以外のものを切り捨てるやり方をしていた。それゆえに悪だった。なぜなら、切り捨てられるものが多すぎて、誰も幸せにならなかったからだ。

もう一つは、義理の父がなぜ正しい答えを見いだしながら、なぜ否定されたのか、考えてみると、それは、正解という点では正しかったが、その点に皆が辿り着ける「橋」を義父は用意しなかった。

つまり、本当の正しさは点ではなく、皆がその正しさに辿り着ける「橋」つまり、「線」が必要だったのだ。そして、その橋を皆が渡り、皆が利益を享受できる状態こそ、真に正しさと言える。例え正しくとも皆が認めなければ、そこに価値が生じないのだから。

ドイツの環境税政策は、この典型例だった。ドイツは環境税を導入するために、企業に環境税の9割を使って、年金積立金を補填する政策を打ち出した。一般的には環境税は、環境に関することにお金を使うべきだが、企業が導入に賛成できるように、年金資金として使った。つまり、環境税という点に到達するために、その税の9割を使って橋(線)をかけたわけだ。

その結果、企業が環境税を導入し、最終的には二酸化炭素が減り、その上、新しい産業が生まれ、結果として、ドイツ経済は成長した。もし、環境税は環境にだけ使うべきだと、その一点にこだわっていたら、恐らく環境税は導入されず、結果としてドイツの環境政策は行き詰まっていただろう。

点にこだわらず、線にこだわれば、それが正しさになる。皆が参加できるお膳立てをすれば、そこで集まった力が正しい方向ならば、良い結果を産み出すのだ。大事なのは、総合力なのだ。そういう意味で、点ではなく線で人と人とを繋ぎ、そこから生まれる力を活用すること。それが政治であり、コンセンサス。

日本のコンセンサスは、点も間違っているし、間違った線が引かれて間違ったところに総合力が発揮されている。日本人とドイツ人の違いは、現実に対して誠実であるかどうかだと思う。ドイツ人は間違ったことを間違っているときちんと言えることにプライドを持っていると感じる。ヒトラーに賛成してしまった自分達を今でも恥じている。

逆に、日本は偽装事件や道路予算問題を見れば分かる様に、間違っていようとも皆と同じことを望む。ここがドイツ人と日本人の違いだと思う。現実と衆愚のどちらを選ぶか、現実を選ぶのがドイツ人であり、衆愚(村の論理)を選ぶのが日本人だと感じる。

そろそろ、この小さな村から出ていい時だ。時代は、もっと大きなことを要求している。地球というステージで考えるとき、小さな村の発想は邪魔にしかならない。小さな村の「一点」にこだわるのではなく、大きな地球という「視線」をもって、世界を線と線で結ぶような広い視野が今の日本人には必要だ。ミャンマーの台風を対岸と火事と見るのではなく、温暖化が深刻化したら明日は我が身と思うくらいに彼らの窮状を我が事のように感じる「線」があれば、そこに村(点)から抜け出すヒントがあると思うのだ。