SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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ユダヤ教について

イスラム教キリスト教も元を正せば、ユダヤ教である。そこで、その原点である旧約聖書について考えてみた。なぜ、そんな事を考えるのかというと、それを知ることでテロリストがどこをどう間違えて人を殺すという帰結になったのか理解することに繋がると思ったからだ。

その前に、神様の教えの本質に当たる部分を把握しないといけない。過ちを指摘するのには、まず正解を定義しておかないといけないからだ。そこで、私が選んだ旧約聖書の一説は、

 祝福の源 創世記12章〜出エジプト記
 http://www2.odn.ne.jp/oasalc/sakuhin/sinnin01.htm

神様は一辺に全ての人間を愛することをやめ、ある特定の人、特定の民族、特定の国を選んで、愛情を注ぎ、その愛された人たちから愛が広がり、祝福が広がるようにしました。選ばれた人たちは、アブラハムであり、アブラハムの子孫たち、つまりユダヤ人たちでした。神様がユダヤ人たちを選んだのは、最も弱い民であったからだといいます。苦労をし、貧しいものは、あらゆるもののありがたさを知り、心から感謝し、恵みを独占しようとはせず、人に分け与えることを知っているからでしょう。

この解釈が最も整合性がとれていると思う。というのは、神が弱い民を選んだ理由が、弱いからこそ、不当なことを否定し、正しき道を示すことが出来ると考え、教えを授けるという神の意図こそ、このユダヤ教の真髄ではないかと思うのだ。つまり、選民思想ではないのである。神が選んだ理由は神の教えを最もよく理解できるものを選んだまでであり、その者達が優秀だからではなく、劣っているからこそ、他の民の苦しみや悲しみを理解し、世界を救う民となると信じて教えを託された。

だから、オレたちは選ばれたんだから、他の民を蹂躙していいんだという選民思想とは相反する考え方なのである。古今東西、神の教えは常に曲解されてきた。偉大な思想であればあるほど、その曲解の影響も大きく、それは大きな災いとなった。だが、その災いを是正するのであれば、やはり、正しい解釈を提示し、彼等の教えの本筋について、語るのが最も効果的だと思うのだ。

ユダヤ教は、今世界で起きている争いの争点となる思想である。イスラエルが武器を持つのは、自分たちが選ばれた民であるから何をしてもいいんだという思想に基づいているようにみえる。しかし、それは間違いである。そのような事をしていれば、いつか彼等の頭上にソドムとゴモラを滅ぼした火が落ちることになるだろう。これは、宗教を人の理を示すものとして解釈すれば自明の理なのである。このままイスラエルが他の民に恨まれる行いをするのならば、いつか、その報復がされ、それは、ソドムとゴモラの火のようなものになる可能性は否定出来ない。既に人類は、水爆という伝説に記された神の火に酷似したものを持っており、科学技術が進めば、どこの国でも、その内、作れるようになるだろう。そして、神の理を無視してイスラエルの民が、このまま進むというのならば、その恨みは、神の火となって、彼らを焼きつくすだろう。神様がいるかどうかではなく、それをある意味、人の理として捉えれば、そうなる可能性は高い。

故に、今のイスラエルの民のしていることは過ちであり、そして、その民と日本が軍事的に結託するのは、その恨みの矛先を日本人に向けさせることになり、得策ではないと言いたいのだ。