SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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日本人のバグりっぷりを菊と刀を読んで読み解く。

戦後、日本分析をした「菊と刀」を読むと、日本のバグりっぷりが大体分かる。仁徳よりも義務(忠)を優先する発想が階層的かつ組織的に強力に展開され、それを江戸時代の5人組から続く、相互監視の感覚で実施する。その結果として周囲の目が気になって神経衰弱になっていく構造が見える。そういう人を苦しめ、追いつめる社会が今の日本。だから、自殺者が多い。

これが戦後75年間、全然変わっていないのが日本。戦争と言う最悪の事態を経験しても、やはり、教育が駄目で倫理がない。具体的にマズいところが指摘されず、教育が改善されなかった。ドイツのように何が具体的にまずいのか追求しなかったのが間違いだった。

私の経験では、追いつめられる人は、一部なんだよね。というのは、そういう追いつめられる人間は、いじめられっ子のように、特定の人に集中するんだ。その集団(社会)の全ての理不尽が、まるでゴミ箱のように特定のスペースに問題が集中するんだ。だから、自分が大丈夫だから社会が問題ないと考えては駄目。

実は、社会の問題を特定の人が生け贄のようになって、受け止めているだけなんだ。たとえば、女性に集中的に理不尽がぶつかっていく、子供に教育機会の喪失という形でぶつかっていく。様々な理不尽が特定の弱者に集中する。これでいいのか?という疑問を持つ事が進歩の基本。そう思わないのが退歩。

日本はですね。冒頭で述べた江戸時代の5人組の相互監視構造で悪い方向に相互監視して、お互いに悪に加担して、弱者を生け贄にしていく社会なんです。

みんなで助かろうと考えずに、特定の人に理不尽を丸投げして、自分は、そうなるまいと悪に加担する。そういうどうしようもない国民が、日本国民なんです。

反面、自分達は、集団相互監視体制の元、そこで生じる義務をきちんと守っているから、自分は正しいんだと思っているわけです。その集団の方向性の問題は特に考えていないわけです。そこは弱者に丸投げして片づけている。それを仕方がないと言って、放置しているのが日本人です。

つまり、何が正しいかと言う倫理で正しいと思っているのはなく、ヒエラルキー(階層)の中で生じる義務を守っているから、自分は正しいという発想なんですね。そこに、倫理はないわけです。単なる上位者から下賜された義務の履行しかない。

そういう意味では、ナチスに盲目的に従っていたドイツ人と何ら日本人は変わらないわけです。倫理なき盲従と言う点で同じです。