SKY NOTE

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日本の我慢が美徳と言う思想のルーツ

日本中に蔓延っている我慢が美徳って発想、あれは精神が病んでしまう。日本分析をして、今でもアメリカの対日対策に使われているであろう日本人研究をしたルースベネディクト氏が書いた菊と刀を読むと、歴史的に、どういう経緯でそういう発想が日本に浸透していったのか分かる。

江戸時代から、そういう発想はあった。江戸時代、士農工商に身分が分かれていて、その地位ごとにルールがあり、江戸幕府は、そういうルールを守っている限り、その地位の人間の権利を保障したと言う。つまり、ルールを守ってさえいれば、そのルールの範囲内での権利が確実にある社会だった。

ただし、そのルールはある意味、過酷なものだった。農民は上の階級である氏族に逆らってはいけない。逆らったら、貼りつけ獄門という厳しい罰があるがしかし、氏族の階級に問題があった場合、それを主張し、お上に主張すれば、それは必ず聞き届けられた。死を覚悟して主張すれば確実に聞いてもらえる。

ここでルールは二つある。

 1.氏族に逆らったら貼りつけ獄門

 2.お上に、問題の氏族に対し主張する事はできる。

つまり、命懸けるんだったら、確実に意見を聞いてやると言うルールがあった。究極の我慢を要求するルールだった。

このように階級の中でルールが厳然としてあり、そのルールを守ってさえいれば、一応、権利が保障されるという世界にいた為、ルールを守る代償として権利が獲得されると言う発想が根付いていた。その代償が我慢であり、その我慢があってこそ、権利があると言う発想が形成されていったと考えられる。

つまり、人である事で生じる自然権ではなく、法を守る義務によって権利が生じると言う発想。そして、その法を守る為に必要な我慢をする事が自分達の権利を保障する事になるという発想なのである。だから、日本人は、人が生まれながらに持つ自然権が理解できない。必ず、権利には義務が生じる。つまり、我慢が必要だと言う発想なのだ。代償(我慢)なき権利など存在しえないという発想なのである。

そういう発想なので、日本人には、人権意識と言うものはない。お上から下賜されたルールを守ってこそ、自分達の権利があると言う発想なのである。だから、政府に逆らう人達に、黙れと言う人がいるのも、そういう江戸時代の発想が今でも生きているのである。それが我慢が美徳と言う発想のルーツである。そういう意味で、日本人は、人が生まれながらにして持つ無条件の自然権全般、つまり、未だに人権意識と言うものを知らないのだ。 

菊と刀 (講談社学術文庫)

菊と刀 (講談社学術文庫)