SKY NOTE

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教育勅語の異常性が野放しにする新型コロナウィルス

教育勅語に洗脳されると、狂人になります。無理な事を敢えてやる無謀さと、それ故に人を苦しめる事を正しいと信じ、どうしようもないほど反省する意識がない、己が絶対に正しいと言う妄想に支配された極めて馬鹿げた存在になります。

教育勅語は、沈黙や忍耐を美徳という考え方に姿を変え、日本のいたるところで、その悪癖が見受けられます。普通の国であれば、検査を徹底して隔離を必死にやるのに、日本は検査をせず、とにかく街に出ないという片手落ちの無理な方法をやります。無理な事を無謀にもやる癖があるのです。この思想は。

普通の国であれば、営業自粛を求めるのならば、補償をするのに、日本は未だに補償の方針が決まらない。補償なき自粛と言う非常に無理な事をまるで神風特攻隊のように人にやらせるのです。無理な事を美徳だと思っているからこそ、そういう馬鹿げた事が出来るのです。

この思想の異常さが、多くの人々を苦しめています。私は、どうして彼らがそう考えてしまうのかもよく知っています。考え方が極めて倒錯した美徳に支配されているからなのです。実際は美徳でもなく、ただの傲慢さに過ぎません。そういう傲慢を美徳に言い換えているのが教育勅語の本質です。そういう性根の腐った人間を大量に生み出すのが、この思想の怖いところなのです。

天皇と言う地位を最上の価値観にしてしまう事で、非常に階級至上主義的な思想になるのです。そして、その階級の為に妥協しなさいという理屈が展開される。自粛を求めるのに補償がないとか、検査をちゃんとやらない事を批判しても、そういう道理よりも階級が一番なので「批判するな」と言えてしまう。

その結果、人を慈しむという方向性からは真逆の方向に人を向かわせてしまうのです。教育勅語では、それとは真逆の事も言っていますが、結局のところ、最上の価値観を人間性ではなく、天皇と言う地位に設定してしまった事で、そうなってしまうのです。これが教育勅語の致命的なバグとも言える所です。

上位者が頑張っているから、下の者は、それについて批判などせず、頑張れ(妥協しろ)と言う理屈なのです。でも、実際は頑張ってないからこそ、非難を浴びているわけです。そういう現実が見えていても、道理よりも階級に従う事が美徳ですから「黙れ」と言えてしまう。

人の道よりも、階級に従属する事が美徳と言うものなので、そうなってしまう。そういう愚か者を生み出してしまうのが教育勅語なのです。