教育勅語は論語に表面的には似ていますが、根本的に違うのは、論語では仁が最優先事項であるため、為政者が仁を施していなければ否定して良いという事になっているのですが、教育勅語は仁と天皇が融合しており、神聖不可侵の存在として定義されている。
つまり、天皇を神聖不可侵にする事で完全な独裁体制を是認する構造になっている。この状態では民衆に反対意見を言う権利は、元々、教育勅語にはないのです。論語の場合は、為政者が仁を施していなければ批判してよいと言う事になっている。つまり、反対意見を言う事を認めている。
論語では、仁に基づいて反対意見を言う事が出来るので、民衆は自分の頭で考えるようになります。しかし、教育勅語では仁と天皇が融合している為、反対意見を言う事は出来ず、民衆は天皇に完全に従属する事が正しく、自分の頭で考えてはいけない事になります。
つまり、教育勅語は論語に比べて独裁的であり、そうであるが故に民衆に極端な受動性(隷属)を求めるのです。
論語における最高の価値観
・仁(優しさ)
→仁を施していない為政者は否定しても良い。
教育勅語における最高の価値観
・天皇家を守る事
→その為には命をも投げ出しなさい。
論語では、各徳目の最高位に仁が配置されていますが、教育勅語では、各徳目の最高位は天皇家なのです。論語の仁に当たる部分に天皇家が鎮座している構造が、教育勅語の歪な所です。