SKY NOTE

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奴隷論

日本人の意識に根強く染みついた奴隷根性。しかし、肝心の奴隷について論じられる事は少ない。そこで、奴隷について書いてみる事にした。市民と奴隷の違いは、権利の有無である。市民には選挙権があり、政治的な権限があるが、奴隷にはない。参政権がなかった戦前の女性は、まさに奴隷であっただろう。私の身近で、その奴隷だった人は義祖母であった。

 

奴隷と市民の比較

・奴隷の処世術しょせいじゅつ:忍耐

・市民の処世術しょせいじゅつ:投票

 

奴隷には、権利がないのでひたすら忍耐しかない。市民には権利があるので社会に問題があれば投票によって解決する事が出来る。よく、政治家がダメだからどこに投票しても同じという理屈を聞くが、それは、皆さんに投票させない為の謀略である。市民よりの政治家が登場してしまうと、利権を排除されてしまうから、どこへ入れても同じである。だから投票するなって言ってる。そして、選挙権を放棄した奴隷のお前らはひたすら忍耐でもしていろっていうのが彼らの考え方。

 

奴隷と市民の問題解決の手法は、奴隷がひたすら耐え忍ぶのに対し、市民は権利があるから、それを行使して、状況を改善する。私の身近にいた義祖母は奴隷の発想が抜け切らない人で、私が正当な権利を行使して状況を改善しようとすると、必ず、忍耐を求められた。隷従を強制されたのである。なぜ、そういう理不尽な事を義祖母がしてしまうのか、それは、彼女の発想が権利が存在しない事を前提にしたものだからである。奴隷には権利がない。だから、他人の目が気になるのである。他人の意向が気になる。奴隷は、他人の目がYESといえばYESといい、NOと言えばNOというのだ。権利に基づいた正当な主張なんてことは、権利がない事を前提にしているから、彼女の発想からはあり得ない事なのである。奴隷にとっての処世術しょせいじゅつは忍耐だから、私に求められたのは、言い変えれば奴隷になる事であった。権利がない事を前提にした行動原理を強制された。きちんとした理由があっても、他人の目がNOと言ってたらNOという結論を受け入れなければならず、私は常に権利のない状態に押し込められ、正当な権利があっても、それを行使できない状態に置かれた。そういう意味で、道理ではなく、他人の目という主観で物事が決まる家であった。

 

さて、奴隷の何が悪いのか?という点に焦点を当ててみると、権利を行使すれば問題解決できるのに、それを人の目があるからと忍耐に置き換えてしまう事である。本来、苦しむ必要のない事を苦しむという結果となり、また、正当な権利が行使されないので公正でもない。つまり、公平ではなかった。義祖母の間違いは、間違った事を正しい事だと勘違いしている事だった。仏教用語では、そういう事を邪慢という。まさに義祖母は邪慢だった。不公平な事を正しいと考えてしまい人を不幸にしたのが義祖母だった。公平に考えれば、する必要のない苦労を人に背負わせ、苦しめてしまったのだ。祖母には権利というものの存在が認知できず、祖母にあるのは、他人の目を気にする事、つまりご主人様の意向を把握する事だけだったのである。奴隷というのは、そういう考え方なのである。

 

権力の使い方を知らない議祖母に、その家の中での最高の権力があった事が、不幸を生み出す。なぜならば、祖母の気にする他人の目とは、主張の強い人間の目なのである。相対的に、主張をしない、比較的、謙虚な人間を苦しめる事にる。義祖母にとって主張の強い人間が、ご主人様になったのである。あの家の中では、謙虚で善良な人間ほど、祖母の権力によって、差別的扱いを受けやすく、譲歩させられる事が多くなる。つまり、主張の強い者が彼女のご主人様となり、それに最高権力のある義祖母が従って、私の子供の頃のように比較的、弱い立場の人間は、それに従う事になる。そうやって格差拡大を助長するのである。本来の権力の使い方は、弱い立場の人間を守り、強い立場であっても公正に裁きをする事にあるのだが、権利がない事を前提にした奴隷根性が抜け切らない義祖母には、そういう常識が分からなかった。強い者はより強く、弱い者はより弱いという非常に原始的な家であった。道理とルールに基づいた文明的な家とはほど遠かった。

 

そんな子供時代を過ごした私が高校を卒業して、東京に来た時、ラーメン屋でラーメンを注文する時、声があまりにも小さく、ラーメン屋の主人に「小さくて聞こえねぇよ」と言われた事を今でも思い出す。それほど、当時の私は他人にものを頼む事に対して萎縮していたのである。お金を払うのだから自信を持って大きな声で注文すればいいのであるが、それすらも、恐れ多くなってしまっていたのが当時の私の状況であった。理屈の上では分かっていても、習慣として、人にものを頼むのが不安だったのだ。怒られそうで怖かった。それは、正当な権利があっても、それが行使できなかった事から生まれた感覚であった。義祖母がいない東京の暮らしの中で徐々に私は、権利が行使でき、自由にモノが言える事を感じるようになった。正当な事であれば、文句を言われないというのは新鮮な驚きであった。理屈では分かっていても、その理屈が通じない環境にいたので、それが驚きだったのだ。

 

義祖母のいない環境の中で、私は自由というものを知った。ここで奴隷が何を生み出すのかということを論じてみたい。

 

第一に、奴隷がトップになると、主観で物事が裁かれ、そこには法はない。あるのは、ご主人様の意向だけである。極めて原始的で不公正な社会が生まれる。

 

第二に第一の不公正さによって、隷従する存在が生まれ、そこには自由がない。正当な権利を剥奪された奴隷が生まれる。奴隷が奴隷を再生産するのだ。

 

不公正で、言いたい事をいう自由がない家の中で萎縮して生きてきたのが、私の子供時代。それらは、権利というものを全く知らない女性が生み出したものであった。義祖母は権利の使い方をまるで知らなかった。そして、この事は、日本国民全体にも言える事なのである。忍耐ばかりを人に要求し、権利を行使して状況を改善するという事をしない。そんな事をしているから強い者はより強くなり、弱いものは、さらに弱くなる。そういう原始的な社会が、今の日本社会なのである。そんな社会は誰も幸せにしないのである。