SKY NOTE

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私の不安の正体は「我慢」だった。

私の不安の正体は「我慢」だった。

苦しい事があると、もっと苦しくなると思ってしまう。そのように悲観的に考えてしまうのは、義祖母の我慢が美徳という発想によるところが大きかった。子供の頃の私は塾が嫌いだった。無理矢理入れられて、やる気が全くないまま、行かないと怒られるので仕方なく行く毎日。週に二回行って、夕方に行くと、夜遅くに帰る。やる気がないので宿題も塾で一緒にやるから遅くなる。

そんなのを小学一年から5年間もやっていると、もういい加減やめたくなる。一生懸命に辞めると主張するも「お前のためにやっているだから我慢しろ」と何度も義祖母に言われる。だが、私はもう限界だった。徹底して主張して、やっと辞めた。

義祖母は、私の心に不安を刻みつけた。どんなに苦しくて嫌な事も、我慢で正当化される。私の意見は、我慢にかき消される。そう思うとイヤになった。我慢というたった一言の言葉によって感情を否定されたのだ。大人になって心理学の本を読むと、それは機能不全家族であり、精神的な虐待である事が分かった。それまでは、我慢というのは美徳だったが、実は虐待だったのだ。

その虐待の記憶が辛い事があると、さらに辛くなるというイメージになった。それは、どんなに辛くても我慢させられた子供時代の経験がそのようなイメージを作り出すのだ。我慢しなくていい、イヤなら辞めろと言ってくれる家族が一人でもいたのならば、私は救われたかもしれない。だが、我慢が美徳の家では、私は孤立し、苦しむ事になった。

大人になって苦しい事があるとより苦しくなるというのは、特殊な考え方だと分かるようになった。他の人は、苦しい事があっても、次はきっと良くなるさと軽く考えられるのだ。その違いは、子供時代の体験によるところが大きいのだと思う。辛い事があっても、誰も汲み取ってくれず、1人孤立して苦しんだ子供時代の私と、何らかの形で救われた経験を持つ人間との差がとても大きいのだと思う。

子供時代の私の苦しい事が永続したのは、義祖母のような我慢を美徳にする家族が私を追いつめたからだった。味方はいない。苦しい事を回避するのが、とても、大変な思いをしないとできない。徹底して主張しても、我慢という美徳の前で無視される。我慢が無限ループのように私を苦しめた。

最近になって、その我慢のルーツが何であるか分かるようになった。それは教育勅語である。明治時代、日本が富国強兵をする時に、強い軍隊をつくって列強諸国と伍する国を作ろうとした教育方針だ。その中に口を慎めとある。黙る条件はとても曖昧な言葉で書かれているため、事実上、黙る事そのものが美徳になる。他人の権利や感情などお構いなしである。ただ、上の者が下の者に命令をするのに都合のいい考え方が列挙されている。要するに軍隊の発想なのだ。軍隊では命令無視はご法度、なぜなら部隊の命に関わるからだ。だが平時の社会で軍隊的な不自由さはいらない筈なのだ。むしろ、自由である事の方が大切なのだ。なぜなら、その方が人間が創造的に豊かに生きられるからだ。

そういう平時の社会に軍隊の発想を持ち込んだが教育勅語である。第二次世界大戦後、即、教育から排除されたが、祖母の頭の中では、教育勅語は生きており、黙る事が美徳だと思い込んでいる人だった。個人の権利や意思を無視しても、黙る事そのものが美徳なのだから、権利や意思を軽く無視できたのだ。なぜなら、そういう事が虐待ではなく美徳なのだから。実際は虐待であったが、義祖母の中では、それは美徳であり正しい事だった。

では、その正しい事が実践された結果、私はどうなったかというと、勉強がとても嫌いな子供になった。散々、強制や命令を繰り出し、イヤだといっても徹底的に我慢させ、虐待し続けた事による、至極当たり前の結果だった。

私は、嫌な事があると、ずっと嫌な事が続くと考えてしまうのは、そこに我慢という思想があり、それが無限ループのように機能して、私を悲観させた。虐待が美徳であったので、それが可能だったのだ。そして、それを美徳にしたのは義祖母であり、その義祖母に、それが美徳であると教え込んだのは、教育勅語だった。日本の歴史を見ると戦時中に我慢の酷い事例が沢山ある事が分かる。焼夷弾で町が火災になったら、普通は逃げるべきなのに消火活動をしろと命令されたり、月月火火木金金と土日もなく延々と働けという強制的に働かせる標語があり「欲しがりません勝つまでは」と我慢を称賛するような標語

強制や命令…虐待…これは、私の子供時代と全く同じ論理であった。とにかく、人に犠牲を強いる事が、まるで正しい事かのようになっている。そういう狂った考え方が日本の過去の姿だった。私が悲観的になったのは、そういう過去が義祖母を通じて私の子供時代に暗い影を落とした。虐待が美徳なのだ。その虐待は否定される事なく延々と続く、それが私が悲観的になる理由だったのだ。永続するのはそれが正しい事になってしまっていたからだ。不当で間違った事にされれば、否定されるが、正しい事は良い事として批判される事なく続くのだ。教育勅語は、軍隊式の単なる命令や強制を美徳とする間違った考え方を正しい事にしてしまい。私の子供時代を台無しにした考え方である。
正義の仮面を被った悪魔、それが我慢の正体なのだ。正義なので否定されない、だから、永続する。それが私を辛い事や壁にぶつかったら、ずっと、その辛い事が続き、苦しみ続けると思わせ、その強い不安によって努力できなくさせてしまったのだ。そういう人を駄目にする考え方が我慢である。我慢とは、人を虐待する事を正当化し、延々と苦しめる思想なのだ。そういう苦しみは、人から多くのものを奪う。だから、ダメなのだ。

 

私の不安の正体は、我慢という名の過去の遺物だった。我慢が義祖母を通じてゾンビのように蘇り、私から逃げ道を塞ぎ、ゾンビによって延々と心が殴られ、苦しめられる。苦しめられた私は、高校を卒業すると、義祖母の家から逃げるように東京へ行った。だが、私の心に不安という形で、我慢というゾンビは生き残っていた。我慢という美徳がまるで無限ループのようになって、何度も何度もゾンビを蘇らせ、私を苦しめ続ける。

 

我慢というゾンビを殺すには、それに変わる考え方に路線変更するべきなのである。我慢は美徳ではなく悪であると路線変更する事で、我慢という無限ループから外れる。もし、私に我慢を強いる義祖母に家族の誰かが「私に我慢ばかりさせるのは可哀想だ。もう辞めよう」と言ってくれたならば、わたしは、恐らく、その一言を以て心の中から我慢を消し去る事が出来たと思う。不幸な事に、その一言を言ってくれる人が家族に一人もいなかった事が、私の不幸だった。では、そういう家族を持たない人間はどうしたらいいかというと、そういう家族から離れたあとに「我慢ばかりする私は可哀想だ。もう辞めよう」と自分で自分に言ってあげる事だ。そうすることで、私の心の中にいる我慢というゾンビは成仏するのではないかと思うのだ。

 

偽りの正義が悪と認識された時、我慢は白日の下にその罪状を曝され、終焉を迎える。私が感じいていた不安というのは、虐待が我慢という形で正義となり永続する事への不安だった。だから、それが悪となれば、永続しない事を安心して考える事が出来る。少なくとも悪ならば、文句を言う事が許される事だからだ。