SKY NOTE

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真の調和

自分の過去の文書を読んでいたら、いいものが見つかったのでブログで公開することにした。

2003年7月22日、今から15年ほど前に書かれたものです。では、始めます。

 

--- 2003.7.22 Wrote ---

徹底した実力主義は、差別を産み出し、徹底した平等主義も、悪平等になる。

 

差別でもない、悪平等でもない。

 

それが20世紀に人類が学んだことだ。

 

人が元々、平等ではないからと言って、際限なく差を認めることは、差別となる。妥当な差別ではなくなるのだ。私達の社会には警察がいる。なぜかというと、弱者と強者のバランスを取るためだ。

 

人は、その力の差を妥当なレベルにするために社会というものを発明した。

 

だから、徹底して差を認めてしまうことは、社会の存在意義を失うことになってしまう。人は、一定の調和のなかでこそ、幸福に生きられるのだ。そのために社会がある。

 

社会は、ありとあらゆる事を受け入れる度量を持っている。アメリカのような国は、それを最大にすることを目指した。ソ連は、それを最小にしようとした。その結果、一国家に相当する資本を持つ、ビルゲイツのような資本家がアメリカで生まれ、寒さの中で配給をまつ人々が、ソ連で生まれた。

 

しかし、最大を目指す過程で、貧富の差が拡大し、最小を目指す過程で、悪平等が生まれた。

 

私は、これらに「否」と答える。理由は、どちらも妥当な調和を産み出すものではないからだ。最大でも、最小でもない。中間にこそ、真の調和がある。

 

能力をある程度認め、能力のない人間も、ある程度は生きられる社会が必要なのだ。自分は、徹底して社会を合理化しようと考えてみたら、その結果は、大量の失業者だった。それが公平で幸福な社会かと自分に問うてみたら、「否」であった。コンピューターの力でルーチンワークに相当する労働を大幅に合理化したとき、悲惨なまでに失業者が生まれると自分は予測した。

 

アメリカの発想はドーパミンなのだ。体の中にドーパミンが常に循環していれば、強力な精神力と、思考力を手にいれらるだろう、しかし、同時にその強力な力によって、体内の組織は高速に老化する。つまり、いつもフルパワーで動いているために、周辺組織への負担が大きすぎるのだ。

 

環境問題などは、そのいい例だろう。アメリカが一番環境を破壊している。アメリカ人は、二言目に「成長」という、彼らの発想は、ドーパミンと同じで常に興奮状態である。しかし、地球というハードウェアの限界を視野にいれていないことが問題だ。どんなものにも限界はある。ブレーキやリミッターが必要なのだ。

 

農業でも、最初の年に化学肥料をまき、収穫を上げても、何年かすると、土地が駄目になってしまう。地力を使い果たしてしまうのだ。つまり、アメリカの発想の最大の問題点は、最大の力を発揮するためのエネルギー源が無限ではないことだ。それは、人々の心にも当てはまる。もし、アメリカが力を傲慢とも言えるほど独善的に使い始めれば、過去の歴史に倣い、人々の信頼というエネルギーを失う。これが失われると、どんなに強いものも滅びてしまうのが、歴史である。

 

どんな強大な帝国も、弱者を無視し始めると滅びる。ローマ帝国が滅んだように...なぜなら、力とは、弱者の礎によって作られているのだから、その自分の足元を切り捨てるようなことすれば、例え力があったとしても、滅びるのは必定なのだ。強者とは、実は弱者の密度が濃い状態なのだ。信頼を失い、その密度が薄くなったとき、強者は弱者となる。その事態がいかに悲惨なものになるかは、歴史が証明している。イギリスが太陽の沈まない帝国と言ったが、しかし、最終的に残ったのは、自分の小さな国だけ。なぜなら、信頼を保てなかったからだ。

 

--- end ---

 

あとがき

15年前の文章ではあるけれども、現在に通じる課題を短い文章のなかに網羅している。なかには、現代の最先端のAIの問題にまで言及している。まぁコンピューターオタクの常識からして見れば、AIの話は、15年前でも、これは普通の事なんだけど、それを普通の人が見ると、先見の明があると思うかもしれない。歴史的視点から、社会制度、経済、実力主義と平等主義に内在する問題点の言及から始まって、今のAIの話題にも通じる労働問題、大量消費による環境問題から信頼と横暴の話にまで展開し、調和の必要性を説いている。だからといって、具体的に何をしようという文章ではなくて、現状に対する批判を歴史的視点に基づいて、言っているに過ぎないのだけど、これらの批判に応える思索をするのも、結構楽しいのではないかと思い。この文章を公開する事にした次第です。