SKY NOTE

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妥協ってホントに大人の言葉?

やたらめったら妥協して、それが大人だって言う奴がいるんだけど、妥協の極地は泥棒とか強姦とか、そういう犯罪に繋がっていく。 

・自分が生きる為に他人から奪うのは仕方がない
 →泥棒
・自分がモテないので、強姦するしかないのは仕方がない
 →強姦

そうじゃないだろ、その前に努力するだろ。

妥協する前にするべき事をして努力しないと、人間は獣と大して変わらなくなる。だから、難しいけど、理念を掲げて、こうあるべきと思って努力する。難しいからといって、すぐに妥協するようでは、いいアイディアなんて思いつかない。

自分がいじめられている時、妥協している周囲を見て思ったのは、妥協はしすぎると、暴力になるという事。だから、暴力にならぬように、最低限の努力をする。踏み留まって考える。安易に妥協しない。 

妥協をしだすと、薄汚い事も段々白く美しく見えてくるようで、感覚がマヒしてくる。段々と自分の利益の為には、人との約束も破って仕方がないとか、他人に嘘を言っても仕方がないとか、自己正当化に走り出す。そういう心の中のムシに蝕まれると、人間は止めどもなく卑怯になっていく。

妥協をするのは大人なのではなくて、仕方がなくするものであり、それは称賛してはいけない。なぜなら、それを称賛し出すと心の中のムシが騒ぎ出すから。自分の場合は「仕方がない」という言葉をなるべく使わないようにしている。この言葉を使い出すと、安易な妥協が多くなってしまう。踏みとどまって熟考する為に、この言葉はなるべく使わない。

妥協は大人のする事って…違うでしょ。単に卑怯者だって事じゃん。卑怯者が自分を正当化する為に妥協って言葉で誤魔化すんだよ。大人がするのは譲歩。妥協よりも譲歩って言葉が好きなのは、譲歩には、量的な意味が含まれているから。当然、量が多すぎると批判される。だけど、妥協って言葉には、量的な意味合いが少ない。妥協ってひと言だけで正当化できちゃう。これは妥協って言葉がまずいところ、譲歩だったら、どこまで譲歩できるのかというチェックが入る言葉。譲歩し過ぎだと、それは駄目だと文句を言われる言葉。

文句いわれる言葉って言うのは、責任が追及されるって事。大人って責任を取る事でしょ。だから、文句の言われない妥協よりも、文句を言われる譲歩の方が大人の言葉だと自分は思う。妥協はその意味では無責任な言葉で、子供っぽいとも言える。

例えば、私がいじめられていた時のケースで考えると
・あいつが、いじめられているのは仕方がない妥協しよう
・あいつが、いじめられている事に、自分は、どこまで譲歩するのか?

譲歩という言葉には量的な要素が含まれているので責任が伴い、義務が生じる。しかし、妥協には、まるで責任が伴わない。

妥協って言葉には、曖昧さが多い。その曖昧さに無責任さが入り込む余地がある。だから、自分は妥協という言葉は嫌い。