読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

努力が無駄なのではなくて、我慢が無駄なのだ。

考え方

子供の頃、一生懸命、努力したけれど、全然報われなかった事を思いだすと、努力というのが本当に全くもって無駄なような気がしてくる。実際は違うのだけど、そう思えてしまうのはなぜだろうかと自転車で走りながら考えていた。

 

それは子供の頃に、強制された塾での事だった。大体、強制されたり命令されて嫌な事の生産性は、自分の感覚だと本来の3割くらいの効率しかない。だから、1.5倍くらい頑張っても0.3をかければ、0.45、普通の人の通常の生産性の半分以下という事になる。大体7割くらいの労力は嫌な事を我慢する事へ費やされる。

 

そう考えると、努力が問題なのではなくて、本意ではない事を強制された事が問題なのだ。これは、脳の疲労のし方とも合致していて、人の脳は何回も考えると、疲労する。嫌な事を我慢している時の脳というのは、とにかく「我慢」「不満」「愚痴」など考えても無駄な事をたらふく考えて、7割の労力を使い果たし、実際に使っている能力は残りの3割程度でしかないのである。

 

だから、一生懸命頑張っているつもりでも、実際の生産性は普通の人の半分以下、努力が無駄なのではなくて、我慢が無駄なのだ。だから、子供のやりたくない事を強制する親は非常にリスクの高い事をやってしまっている。それは、努力が無駄だと教えているようなものだ。実際は我慢に労力の大半が使われているのが問題なのだが、嫌な事を無理矢理やらせて、本人が一生懸命、努力しても生産性は普通の人より劣る。自分は愚か者でバカなのだと教えるようなもので、非常に危険な教育法だ。教育というよりも劣育と言った方がいいかもしれない。人をダメする育て方だから。