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SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

武則天の皇帝李世民に、人を動かす器を見る。

最近BS12(火~金 午後6時)でやっている。武則天則天武后)を見ている。武則天第33話で部下の将軍が、皇太子と組んで謀反を企てようとしている事をいち早く見抜き、将軍が酒に酔っているふりをして皇太子のいる東宮に向かった事をすぐに見抜く、そして、同時に将軍が攻め滅ぼした国で、財宝を略奪したり、美しい妃などを自分の側室にした事をネタに捕まえ、牢獄にとじ込め、謀反をさせないようにする手際はさすがだと思った。そして、その上で罰するのではなく、重要な地方の官吏にするところに懐の深さを感じる。私の場合、他人がウソを言っていることを見抜く所までは出来るが、その後が李世民と違う。私は友達の縁を切ってしまうが、皇帝李世民は、地方の重要な官吏として召し抱える所が違う。人が偽りをいい、自分を裏切っても、それでも信じて重用する所が李世民の懐の深さだと思う。私は、そういう懐の深さが1ミリもない。これをみて、私に友達がいない理由がわかった気がする。私の場合、ウソを言っている所までは見抜ける。だが、私はウソを言い始めた人間は、それを追求した所で、最初のウソを成立させる為に、またウソをつく事だろうと考え、そう考えると面倒なので、友達の縁を切ってしまう。私が偽りをいう者を面倒だと思い、切り捨ててしまうのに対して、皇帝李世民は、牢獄に酒を持っていって話をし、地方の重要な官吏の職を与える事を切り出し、裏切りに対し、恩を以て報い、謀反を再びさせないようにした上で、優秀な部下を見抜き、中央に送れと命令し、これは重要な任務であると伝える。何という度量の広さ、大きさなのであろう。裏切りに対しても徳を以て制するなど、さすが、名君といわれる皇帝である。私には真似が出来ない。私は裏切る兆候を見せた段階で、すぐ首チョンだから。

 

最近リーダーシップの本を読むと、徳を以て制すのような内容が多いから、人を動かすというのはそういう事なのだろう。私は人を動かすよりも、正直であればよし、偽りをいえば首チョン、その兆候を見せた段階で面倒なので切り捨てる。私はなぜ、ウソを言う人間に怒るかというと、私がウソを言っていないし、そういう裏切りをされるような事をした覚えがないのに、そういう事をされるのが許せないからだ。「またか…どうしてお前たちはいつも私を裏切るのか」そう落胆して首チョン。そこには懐の深さなどは1ミリもない。私に徳はない、故に友は一人もいない。偽りをいえば、すぐに察知して切り捨てる。察知する所までは李世民と同じだが、その後の行動が違う。李世民は、裏切ったとしても重用し、その徳を以て制する。私は、裏切った者は、すぐ察知し、面倒だから、即刻、切り捨てる。人を面倒がらずに重用する李世民と、人の面倒さを煩わしく思って、結局一人の方が気が楽だと、切り捨てる私とでは器の大きさが違う。水清くして魚棲まずとは、まさにこの事。李世民の人心掌握術を見ていると、人の面倒を面倒だと思わず、徳によって包み込み自らの力に組み込む所はさすがだと思う。私には、そんな面倒な事はとても出来ない。人間の持つ面倒くささを自明のものとして受け入れ、その上で他者を受け入れる李世民と、そういう面倒くささを毛嫌いし、他者を切り捨てる私との間には、人を引きつける引力に、かなり大きな開きがあるだろう。私の人を引きつける力は無重力に等しい。