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SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

真実という友達はいるが、結果は友達じゃない。

考え方

自分の過去を振り返ってみて「真実はいつも僕の隣にいるけど、結果は僕の隣にはいない」自分はいつも、ウソを言っていないつもりだし、真実の側にいても、その真実を他人に伝えるプロセスで失敗したり、他者に負けてしまい、結果として結果を得るには至らない。結果と言うのは、大抵、人に認められる事だ。認められるべき真実の側に自分はいても、それを他人に認めさせる事が出来ないので、結果は得られない。

現実とは、裁判のようなものだ。その意味で、やり手の弁護士に常に負けているのが、自分だ。彼らはルールを知り尽くしていたり、ウソを言ったり、正直いってかなりずるい事をしているが、だが、人に認められると言う点において、ある意味正しいとされる事をしている。つまり、見かけ上、筋が通っている理屈を通す。事前に自分に有利なルールを相手に認めさせる。それらの上に立って、自己の権利を主張する。何の矛盾もない。だが、それは、アンフェアなルールであったり、事実と違うが筋が通っているように見える理屈であったりする。ルールを異常なまで肥大化して解釈したりして、自己の権利を最大化して、相手の権利を覆そうとする。

私は、これらの「屁理屈」に対応する事が出来ない。事実と違うと言っても、それを証明する証拠がなかったり、事前に書かれている契約書には、そう書いてあり、実際にはそれに自分が署名していたり、また、定義が広すぎると言っても、それは合法であったり、それらを公平に評価するプロセスを自分で構成する事が出来ない状態に陥って負ける。ルールに従っていれば、正しい。それが法律の怖い所である。専門知識がないと、その正当性を覆すのは素人には、かなり難しい。だから、専門家を雇う必要があるのだが、私にはそのお金はない。

よって、私は負ける。味方を付けるお金もないし、事実を証明する事も出来ない、アンフェアな契約書に署名をしているなど、様々な点でずるい人間に負けてしまう。だから、そういう狡い人間と戦わなくていい土俵で戦う事を考える事にした。国語力がないと、自分の権利を他人に認めさせる事が出来ない。私の敗北は、常に事実ではなく言葉の上で敗北する。