SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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虐待は「無神経」から生まれる。

自分の子供の頃の辛かった事に思いを巡らせてみると、あの虐待行為は一体、何だったのか?という疑問が湧いてきたので考えてみると、殆どの大人は、良かれと思って私に虐待行為をしていた。なぜ彼らは私を苦しめる事を良かれと思って実行したのかというと、大抵、そういう人達は、人の都合に耳を傾けないという点で共通していた。つまり、相手の状態を把握せずに、自分の善意を押し付ける。料理で言えば、味見をしないで調理をする料理の下手な人に相当する人達だった。

彼らに欠けていたのは感性、つまり神経である。彼らは「無神経」であるがゆえに、他人を苦しめる暴力を正しい事だと思ってしまったのである。だから、昔、私を苦しめた人間が、私を傷つけて反省しているかと言うと、そんな事はない。なぜなら、人を苦しめた事すらも感知しない無神経だからこそ、そういう事が出来たのであって、それが感知できるようであれば、そもそもそういう事をしていないのだ。むしろ、自分は正しい事をしたと思っていて、感謝して欲しいと思っているかもしれない。そう考えると、非常に無神経な人間と言うのは度し難いものだが、出来るだけかかわり合いになりたくないものだと思った。

また、この考え方を応用すると、人に苦しめられた人間の一部が性格がねじ曲がる事も分かる。苦しめられすぎて、生き残る為に何をしてきたのかと言うと、感覚をマヒさせ、暴力に対して耐性を持ったのだ。しかし、同時に、それは人を苦しめる無神経な人間になる事を意味する。つまり、他人に苦しめられる辛さを知っている筈なのに、苦しめられる過程で神経がマヒして虐待をする側と同じ性質の人間になってしまう。

我慢を美徳とする人間は、暴力を受け過ぎて、性格がねじ曲がってしまった人間で、虐待する側の人間、つまり、無神経な人間になってしまっている可能性がある。気をつけないといけない。人間は強くなる過程で感覚がマヒする。それが虐待に繋がるのだ。だから、弱かった自分の事を思い出し、常に自戒を込めて生きないと、他人を苦しめて、自分は正しい事をしたと思ってしまう無神経で駄目な人間になってしまう。なるべくそうならないように気をつけたいものだ。(ドラマの歳を取った「おしん」がその典型例)

安倍晋三のように、坊ちゃん育ちで人の苦しみが分からない人間は、他人を簡単に虐待する。強い立場にいつもいる人間は、人を苦しめても自分は正しいと思うような人間になりやすい。