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SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

天才は、凡人の言い訳になる。

考え方

子供の頃、天才の義父や、その家系の人々に接する中で、自分は努力というものがあまりにも無力だと感じた。あまりにも自分と差がありすぎて、絶望してしまったのだ。天才を基準に世の中を相対化してみると、99.9%の人が敗北する世界になる。でも、実際の世界は、そうではない。天才でもない人間が成功しているし、また、成功の基準も人によって様々であって、私の絶望は、そういう中ではとても視野が狭いものであった。そういう事がわかっていても、私は天才の存在が怖かった。あまりにも身近に天才という存在を目にしていると、凡人の努力が「ああ、俺が一生懸命やったって、あの連中には簡単に負けるレベルでしかない」と考えてしまって、努力がバカらしくなるのである。また、天才と対峙する凡人は、その才能に恐怖すら感じる。私もまた、恐怖で思考が硬直してしまった感がある。そして、希望を失った。天才に対する凡人の恐怖と絶望が私に努力が無力だと説得してしまった。一生懸命頑張った所で、あのレベルの連中が登場してしまったら、自分はひとたまりもない。その恐怖が他の価値基準や、成功の多様性について考える余裕をなくさせてしまった。また、その恐怖と絶望が悲観を生み出し、その悲観が努力をする気力を滅ぼした。

人間は、希望がないと努力が出来ない。私はあまりにも強力すぎる才能を目の前にして、目がくらみ、周りが見えなくなっていた。そのまばゆい才能の光に目を潰されて、その暗闇の中で絶望し、気力が磨り減り、弱っていく自分の存在を正当化するには、どうしたらいいかというと、言い訳を言うしかないのである。あんなやつらがいたら勝てるわけないじゃないか、努力したって無駄。いくら頑張った所で負けるのはわかってるんだから…と逃げの一手しか思いつかないのである。それは、精神に多様性を失い、価値基準が「天才を基準にする」という硬直した結果であったが、私にとってそれは身近な現実であり、リアルなものであった。また周囲も、その天才の才をもてはやし、自分にぞんざいな口利きで比較するような事を一言でも言うようなものならば、それだけで自信のない私は精神的に追いつめられ、怒り心頭に達するのである。それは、周囲が天才を基準にして相対化してしまう枠の中に自分という存在を評価軸として持ってきてしまう絶対勝てない差という絶望の縁に叩き込む残忍な目線でしかなかった。

あまりにも残忍で男のくせに泣く位、苦しかったのである。子供の頃の私は、そういう精神の均衡がとれていなかったし、周囲の大人もそれに配慮する事が出来なかった。私は、どんな酷い事を言われても、表情はあまり変えなかったし、怒ったとしても、自分が苦しい、辛いという事よりも、相手の理不尽さを非難する姿勢をとっていたので、私が弱って苦しんでいる事をわかる人はいなかったと思う。思い出すと、自分の弱みを見せた事はなかったと思う。私は、恐らく、あの家を心の底から信じてはいなかったと思う。多分、自分とは別の存在であるか、とても無神経な人達としか捉えていなかった。私が相手を無神経だと思っていたのは、私が相手を信頼せず、自分の正直な気持ちを表現できていなかったからだが、私がそれが出来なかったのは、あの家の抑圧の結果であり、当時の私は自分の気持ちすら理解できていなかったと思う。また、それを表現して尊重された事などなかった。

人間はそうやって自分に正直でなくなると、他人は、私が自ら作った虚像に基づいて、判断し評価を下していく、そして、それに私は傷つき苦しむという救いようのない状態に陥る。私と同じ境遇の人間がいれば、すぐに私の心がわかったかもしれない。だが、それは理解されなかった。私には味方は一人もいなかった。それは私自身が生み出した虚像の結果であり、また、その虚像を見通す周囲もいなかった事から生まれた悲劇だった。私が信頼しなかったのは「自分とは違う人達」または「わからない人達」でしかなかった。それは他人という事だが、他者を信頼するというのは、違いや無理解があっても、どこかで共通項を見いだし、それに基づいて信頼していく事だが、私の場合、天才という基準で視野が硬直してしまったので、この共通項を見いだすという事ができなかった。多様な尺度をもって、相手を許容し、その上で、共通項を見いだし信頼していく。私は、それをする前に、天才に対する絶望や恐怖が邪魔をして、それが出来なかった。また、そういう能力というのは社会が評価する大きな軸である。その大きさから見れば、その他の基準は矮小だと見られるのが世間というものだ。天才を目にする私は、つねに、その能力の中でもトップクラスのものを見ているので、絶望しかないし、世間もそれを評価していく、私には居場所がないのでないかと思っても無理はなかった。でも、実際には世の中というのは多様である。もし百獣の王であるライオンがいるから、他の動物の存在意義がなくなるかといえば、そうではない。世の中というのは、様々な存在が相互に作用して成り立っている。天才は、ライオンのような存在かもしれないが、天才というライオンよりも遥かに弱いネズミのような小動物であっても、一応生きていられるのである。それぞれに別の生き方があり、その中で生きればいい事。

だが、それが出来ず、そして、私は言い訳を言うことしか出来なくなっていた。その私の追いつめられた気持ちを理解する人間もおらず、一人で苦しみ、一人で悩み、そして、言い訳を言っているしかない自分に気づく。天才という評価軸を外し、別の目線を持てば、私なりの生き方が生まれる。天才のように輝かしい物ではないかもしれないが、私の願うネズミの正義という物がある。世の中というのは、ライオンのような人間は少数で私のようにネズミのような人間の方が多数派なのだ。私は、そちら側について、その正義を考えよう。そして、それもまた正しいのである。そのネズミの正しさを実現する為に努力するのならば、無駄ではない。つまり、言い訳を言わなくていいわけである。それが、私の正義であり、努力する方向なのだ。他人がそれを笑おうとも、それは、私とは違う正義に基づいているだけの事、気にするに値しない。
 

 

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