SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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理屈で勝っても、社会に負ける

真田丸を見ていて、真田昌幸が戦では勝ったのに、関ヶ原の戦いで、西軍についた為、家康には負けるというのを見ていて、勝敗と言うのは社会性で決まるのだなと思った。昌幸は、自分の城を守ると言うミクロの戦いでは勝利したが、西軍と東軍の戦いと言うマクロの戦いでは敗北してしまった。家康は実戦では一度も昌幸に勝利した事はないが、政治的な戦いでは勝利した。そして、その政治的な勝利が後の江戸幕府を開く事になったのだから、その意味は侮り難いものがある。

 

自分が昌幸に共感するのは、理屈では勝っていても、家族とか、クラスメートとか、組織でまとまっている者に総合的に負けてしまうからだ。私が正しくても、間違っている者が多数決で勝利する。間違いでも偽りでも多数派を形成できた者が社会的に勝者となる傾向がある。

 

もうちょっと変化球だと、私の着想を利用した人間が、お金持ちで、私がそうでないのは、より多くのチームを組めたからに他ならない。その差は知名度や組織力だ。世の中が評価するのは総合力、個別のミクロなものは、あまり評価されない。だから、組織力とか知名度とか、社会的に大きな力を持つ者が勝利する。

 

ただ、そういう力にも弱点がある。力を持っていても頭がないのだ。他人の想像力を利用しないと成功できないので、瞬発力で短期的に勝てても、長期的に勝ち続ける事は出来ない。他人の着想を利用して対価を支払わなかった彼らは一発屋で終わることが多い。

 

私の着想を利用した人達も、私の着想以上のものを作る事が出来ず、尻すぼみになる傾向があるように見える。そう思うと、自分でチャンスを作れるのは偉いんだなと思えるのだが、銭が手に入らないのは、参ったなと思う。