SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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金魚と正義

生き物を飼うと言う事は、正義について考えさせられる。家では、金魚を飼っている。白い大きめの琉金と黒いデメキンだ。金魚は結構育てるのが難しい。熱帯魚のような元々自然界にいた丈夫な連中と違って、交配による突然変異型の金魚(琉金)は生命力が弱い。熱帯魚の場合、環境が適切であれば、大体上手く育つ。だが、金魚は違う。環境が適切でも、餌のやり方、管理の仕方のミスで簡単に病気になったり調子が悪くなったりする。ある意味、熱帯魚の飼育は科学である。環境的に適切にやれば、それで育つ所がある。しかし、金魚を育てるのは感性が必要だ。

 

金魚は何匹も殺してしまった。病気を治そうとして逆に殺してしまったりもした。その中で忘れられないのは白い琉金を殺してしまった事だ。白い琉金の尾ひれに白い斑点が遭ったので、私はそれを病気だと思い、ヒコサンを使って治療しようとした。しかし、それによって、金魚を逆に殺してしまった。ヒコサンを投与する時は、餌を食べてはいけないと言う事だったので、餌をやらなかった。白い琉金は、薬で苦しくなって、その上、おなかが空いていたらしく、水槽内のコケを食べようとしていた。しかし、私は、そのコケを見た目が悪いという事で、採ってしまった。薬で死にそうなほど苦しんで、その上、おなかが空いていてコケを食べようとしていたのに、それも食べさせてもらえず、最終的に、その金魚は死んでしまった。死ぬ間際に私の顔を見てグタっと倒れ込むようにして亡くなった金魚を見て、自分は酷く後悔した。

 

実際は、金魚は体調がいいと、尾ひれに斑点が出るのだと後で知った。つまり、治療など必要なかった。つまり、私はやる必要のない事をして、逆に金魚を殺してしまったのだ。その金魚は、僕が来ると、いつも餌をねだる食いしん坊で、そして、他の金魚にいじめられる弱い金魚を守ってやるいいヤツだった。そのいいヤツを私は、間違った善意で殺してしまった。知識が足りない上に金魚の痛みにも酷く鈍感だった。だから、私は善意だけではだめだ。正しい事をするのには、知識も感性も総動員しなければいけない。その全力を費やしてこそ、初めて正しい事になりうる。そう思うと、正義とは困難であるが、しかし、あの白い金魚のような、かけがえのないものを失う前に、そういう事をしておくべきなのだと、今では思う。

 

大切なものを失う前に、それに気づくべきなのだ。その為に、相手に対する感性と、そして、それを実現するあらゆる知識や能力を総動員する。それが正義なのだと自分は思う。私の金魚を守る気持ちという善意があっても、それを実現するのに、無知であったり、金魚の苦しみをよく見ていなかったり、本当に鈍感で酷い事をした。だから、善意だけで自分が正しいなんて思えない。その善を実現する相手に対して感性や知性があってこそ、正しいと言えるのだと思う。大切なのは謙虚さである。それがないと、視野が狭くて鈍感になってしまったり愚かになってしまったりしてダメだ。

 

毎日、金魚に餌をやる時、ごはん美味しかった?おなか痛くない?調子はどう?そんな事を心でつぶやきながら、毎日餌をやっている。そうやって、感性を働かせてないと病気がちの金魚は死んでしまう。今はヒコサンのような強力な薬は使わないで、もっぱら塩水浴(1.75%の塩水に20分)にしている。苦しくない治療と、最適な餌、とにかく感性を働かせて、相手にとって、どんな状態が悪い状況を生むのか、始終考える。そういう感性が働いていないと、正義とはダメなのだ。