SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

「努力を継続する方法」を調べたみた…

自分は、昔からコンセプトを作るのは上手いが、それを実現する努力を怠る傾向がある。なぜ、コンセプトを作るのが上手いと自画自賛できるのかと言うと、自分の作ったコンセプトを他人が聴いて成功しているからだ。それも一度だけではないから、そう言える。

 

自分のコンセプトの一例

福島の人達に対して「食べて応援」は間違っている。「逃がして応援」が正しいコンセプト。コンセプトが間違っていると、その後に続く全ての行動が間違ってしまう。

 

そこで「努力をすれば、俺は勝てるな」と思った私は、どうすれば努力が継続できるかという事をネットで検索してみた。それで参考になりそうなのが以下の記事である。

この記事では、実は努力を継続できる人は、理性的にやっているのではなく、感情的にやっているのだと言う。なぜ、理性ではダメなのかと言うと、最近の認知心理学では、思考も行動マニュアルも習慣化において、あまり意味がないのだと言う。どういうことなのかと言うと…

 

一般的に思考と言うのは

 感情→思考→行動

の順番で怒ると考えられているが、ノーベル賞を受賞した認知心理学の大家、ダニエル・カーネマンは、この順番を否定する。

感情的な要素が絡んでくると、システム2(=冷静な思考)は、システム1(=直感)の感情を批判するよりも、擁護に回る傾向が強まる。システム1の番人というより、むしろ保証人になってしまうようなのだ。

情報や論拠を探索するにしても、既存の結論を検証する意図からではなく、結論と矛盾しない情報探しに終始する。かくして、積極的なつじつま合わせ屋のシステム1が無抵抗のシステム2に結論を押し付けることになる。

分かりにくいので要約すると、人の行動の多くは思考を介する事なく、無意識のうちに行われている。よって、思考する順番は以下のようになる。

 感情→行動→思考

この順番だと、感情が(無意識的に)行動を引き起こし、思考がその行動を弁護するような形になってしまう。つまり、理性が感情や行動に従属する形になってしまうのである。よって、それらに従属している「考え方」(思考)を変えても、ダメなのだと言う。ではどうするべきなのか?

 

それは、人は感情によって半自動的に行動しているわけだから、その感情に直接、訴える事が重要なのだと言う。そこで、参考にした記事ではいくつかのアプローチの仕方を紹介していた。

 

1.もったいないと思わせる

なにかをはじめたら、先にお金を払ってしまって、せっかくこれだけ投資したのに、やめてしまうのは「もったいない」という感情を利用する。

 

ダイエットの場合…

ウェアやシューズに投資し「もったいない」「損をしたくない」という感情は、前向きな「健康でありたい」という論理的な思考よりも強力との事。

 

2.ここまできたらもったいない、と思わせる。

習慣としたい行動のメモを取り、メモを眺めて「今やめるのはもったいない」という感情、1がお金の損得に対し、こちらは、努力の損得勘定に訴えるわけである。その為には、努力のカウントが必要であり、メモを取る。

 

3.仕方ないと思わせる

テレビやゲームなど、気を散らすものが近くにあると、人は、その誘惑(感情)に負けてしまう。そこで、気を散らすものがない状態を作り、「仕方ない、やるか」と諦観の感情に訴える。例えば、そういうものがない図書館や喫茶店などに行って、それしかやれないという状態にする事で「仕方ない…やるか…」という事になる。

 

4.あと少しだから、と自分に思わせる

記事の知人の方は、運動の習慣をつける為に「あと1日だけやろう…そしたらやめよう」と思っていたそうだ。これは、要するにやめたいと言う感情を利用している。人間は、遠い将来のために動けない。「つらい」「先が見えないので不安」という感情は強力。したがって「取り敢えず今日のことだけを考えて、明日以降は考えない」という態度は、習慣化に不可欠だと言う。

 

まとめ

記事の中では、そういう提案がされていて、なるほどと思った。自分も、人を頑張らせる時、4番「あと少しだから…」で頑張らせ、1番、2番の「勿体ない」攻撃で励ましてたりした。この話を聞いていて思ったのは、感情を揺り動かすキーは「誘惑」である。自分は、人を頑張らせる時「悪魔の誘惑」モードにはいる。人の負の感情を逆用するのである。例えば、「損をするのは勿体ない」というのは、欲である。その欲に働き掛けて誘導するから悪魔の誘惑なのである。自分がやっていなかったのでは「辞めたい」という感情を逆用するところで、これは考えなかった。自分は塾を辞めたいと思ってもやめさせてもらえなかった子供時代の経験からか、自分の決断が尊重されると言う意識が薄くて、そういう発想にならなかった。確かに辞めたいという感情を利用するのも手である。辛い時に「辞めたい」というのは、とても強い感情なので、それを否定するような事は逆効果である。だから、肯定して続けさせるという論理は賢明な判断だと思った。

 

聴いていて、他人には、そういう事をやっていた自分を見て、それを自分にやればいいのか!と気づいた自分はバカなのか…と思った。要するに他人に努力させる方法を知っていたのにも関わらず、それを自分に使わず、努力が出来ないといっていたのだ。

f:id:skymouse:20100528212933j:plain

アスカ「あんたバカァ」 「そうですハイ…」

 

自分の場合は、飽きてしまうというか、やっていく内に難しいプロセスが残ってくる。難しいから進捗しないし、やっていてもつまらないから、頭の中で、やめたいという感情が芽生え、その感情を正当化する為に理性が、その理由付けをしてしまう。「どうせ、これを完成させたって、あいつら頭が硬いんだから認めるわけないさ、もうやっても無駄無駄」とか、考えてしまう。でも、この記事を読んでわかったのは、それは、私の「もう辞めたい」という感情を理性が弁護した結果である事が分かった。実際は、単に未完成なので、その価値がわかりにくいだけなのだけど。

 

だから、そういう「辞めたい」という感情を弁護するのではなく逆用して「あと1日頑張ってから辞めよう」とか、「ここまで作ったのに完成させないのはもったいない」とか考えるようにしよう。そうすれば、未完成品の山のいくつかが完成する事になるのかもしれない。