SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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価値に対する感性

最近の日本人は価値に対する感性が鈍くなったのではないかと思う。というのは、政治でも経済でも、良い選択をしていないと思うからだ。

良いものを選ぶには、自分が何を望んでいるか明確になっていないといけない。そうであってこそ、良いものが見つかる。人によって良いものが違うのだから、その良いものは多様であり、決まったものではない。しかし、おいしい食べ物を皆がおいしいという様にクオリティには一定の共通性がある。

高い価値のあるものを多くの人々が選ぶ際に参考にしているのが、自分の価値観ではなく、他人の意見であったり、みんなが評価をしているからという主体性のない考え方で選ぶようでは、個人の審美眼は鍛えられない。他人が選んでいるからという理由で選ぶのは楽だが、それでは、いいものを選ぶ力が弱くなってしまうし、他人(マスコミを支配している人たち)に利用されやすくなる。

さて、それの何が問題なのだろう。それは、目に見えない価値に現れる。みんなが理解しやすい価値ばかりが尊重され、見えない価値は無視される状態になる。それが何をもたらすかというと、不公平な評価をすることになるのだ。分かり易かったり、目立つものだけが評価され、目立たないものは評価されない事になる。

例えば優れたアイディアを言う人がいても、その人のアイディアにお金を払わない。なぜなら、目に見えない無色透明なものは、その存在が曖昧で見えにくいものだから、そういう目立たないものは評価されない状態になると、アイディアを出す人は、いなくなる。アイディアを生み出すのにも、それなりの投資が必要なのである。その投資に対価を払わない社会は、結果として、イノベーションを生み出さない。

なぜ、そうなってしまったのか?それは、個人の選ぼうとする意思が弱いからである。自分の意思で選ぶという姿勢が弱い為に、目に見えないものを積極的に評価するという事が出来ない。それを他人に説明する事もしない。何らかの可視化された目立つものしか評価しないという度量の狭さは、器のなさとなって、社会を覆う。そして、その社会は衰退する。だからこそ、価値に対する感性が大事なのだ。価値を正当に評価する社会であってこそ、イノベーションが生まれるからだ。目に見えないからといって、無視したりしてはいけない。それは、社会が老化してしまう事だから、若々しく、常に新しい社会とは、良いものを良いときちんと評価できる審美眼を個々人が磨いている社会である。そういう社会であってこそ、真に豊かなのだ。目に見えるものだけを評価する貧しい見識しか持たないのであれば、社会もまた貧しくなろう。豊かな社会とは、個々人の良いものを選ぶ選択能力にかかっている。率直に言って今の日本人の良いものを選ぶ積極性は、乏しい。特に目に見えない分野については、それが顕著である。もっと主体的に選ぶ姿勢が欲しい。人が何を言おうと、これはいいという姿勢がないとダメだ。

自分は子供が好きなのは、彼らは新しいものを提示すると、素直に評価する事が出来る柔軟性がある事だ。大きくなる過程で頭が固くなり、ダメになっていくが、子供は固定観念が備わっていない分、柔軟性があるし、正直である。子供は自由にモノを言っても、非難されない。だから、正直に意見が言える。社会の審美眼を高める為には、そういう率直さを評価する自由さがないとダメであり、日本社会は、この点において、あれを言ってはダメとかうるさすぎである。もっと自由じゃないと、新しいものを評価する率直さや誠実さが社会から失われる。それは、社会全体が老いさらばえていく事であり、あまり良い事ではない。