SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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既得権と自尊心は似ている。

昨日、TPPの反対抗議で官邸前まで行って、帰り際に抗議に参加した人と話したのだが、自分は…

「低コストペロブスカイト太陽電池を実用化して電力を自給したり、食料も自給技術が揃ってきているのに、どうして日本は、外国のいいなりにならなければならないのか?そもそも、そういうエネルギーや食料が自国で賄える技術を世界に普及させれば、戦争をする理由すらなくなってみんなが豊かで安定して、文明的な暮らしが出来るのに…」

というと…

「それは既得権かな、そういったものが出来ると、既に持っているものを手放さなければいけない人たちが出てくる。それが問題かな」

…と言われてなるほどと思った。つまり、石油、ウラン、農業輸出国、それぞれにある利権がある。その利権を、そういう先進技術は否定してしまう。電気自動車と低コストな太陽電池があれば、既存の石油、ウランは用済みになる。そうなると困る人たちがいる。しかも、その人たちは発言力がある。自分は新しい技術で世界の人々が幸せになるという一点しか考えていなかったが、他方で、それが生じる事によって莫大な利権を失う人が出てくる事は無視していた。なぜなら、時代の流れで当然否定されるべきものという区分でしか見ていなかったからだ。しかし、よくよく考えてみると、TPPで今、私たちが困っている事は、そういう既得権との対立なのだ。技術の進歩で石油やウランの利権がなくなりつつある中、彼らが手を出してきたものは、それに変わる収益源として、医療保険、薬など人間の生命に関わる人々が出さざる終えない分野のお金を規制をなくす事で価格をつり上げて、儲けるという理屈だ。それがTPPであり、彼らの自己保存の為の理屈である。ある意味、それは彼らの自尊心を維持する為のものなのだ。

自分達が世界で一番の富の保持者としての地位を維持する為に、各国の規制を撤廃して人の命に関わるコストをつり上げて、無理やり儲けようとする。それがTPPの実体だ。実際、日本政府が米国と取り交わした文章にも、その内容が書かれている。

内閣官房:TPP交渉参加国との交換文書一覧.pdf
 http://www.cas.go.jp/jp/tpp/pdf/2015/10/151005_tpp_koukan.pdf

上記のPDFの3ページ目の「投資」の項目を見ると、以下のような驚愕すべき内容がある。

この中の外国人投資家の実体が「彼ら」であり、既得権者である。日本政府は、外国人投資家という既得権者の言い分を聞いて日本の規制を改革するといっている。つまり、外国の既得権者の言いなりになって日本の規制をコントロールするという凄い内容なのだ。その彼ら外国人投資家の総元締めはアメリカだとロックフェラー家という事になる。そういう意味では、日本政府は、ロックフェラー家の言いなりになって日本の規制を変えるといっているといっても過言ではない。

ロックフェラー家は、石油で財をなした財閥であると同時に、技術革新によって石油利権が段階的に消滅する事を見越している。故に世界第三位の経済大国で、比較的コントロールしやすい日本をターゲットにして、TPPのような不平等条約を突きつけて、日本政府に医療規制を撤廃させて生じる医療利権で日本人の持っているお金をむしり取るという魂胆なのだ。先月の郵政株公開も日本人の持っているお金を根こそぎ取る為の行動に過ぎない。全ては自分達が保有している利権が消滅する前に、新しい利権を作り出し、自分達の地位を温存しようとする動きにほかならないのだ。

そういう巨大な自己保存の考え方を、私は無視していた。そもそも、そういう考え方、つまり、彼らの自尊心の為にTPPのようなもので自分たちが困った事態に追い込まれているという現実を直視すれば、全ての事柄が整合して見えるのである。現在TPPが進められている理由も、極端な搾取政策が行われようとしている理由も、その全ては巨大な利権を持つものの自己保存にほかならない。また、私達に真実が伝えられない理由も、ジャーナリストの自己保存の発想を見れば、職を失うのが怖くてそうしているのだ。

そして、それは自尊心の為である。自己を尊ぶ反面、他者を否定する。それが結果として、様々な不幸の源泉となっている。自己を尊ぶのならば、それと同等の他人に対しても尊ぶべきだが、そういう公平な考え方をすると、自分の居場所がなくなるという事を恐れて、そうしないだけなのだ。

場所を提供する資本家に逆らえない。それが彼らの理屈である。既得権とは、そういう場所そのものかもしれない。そして、その中で生きる人間の肥大化した自尊心が、様々な理不尽の源泉となり、他人に不幸をもたらす。そういう不幸なサイクルの中に今、自分たちはいる。