SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

理想主義と反動

人は悪い例を見て、それを強く理解する。ただ、それは深く理解することと同義ではない、あくまでも強く理解するという表現にしたのは、正確に理解するわけではないからだ。ただ、悪い例を知っている分、それを避ける事が正しいということも知っている。しかし、良い例しか知らない人間は、悪い例を避ける知識がない。

私は、最近、そう言う経験をした。私は、社交的な問題についてはまるで無知である。交渉事は大の苦手だ。なぜ、不得意なのかというと、私は数字で考える。しかし、人というのは、その時の感情や立場、過去の事例から考える。私は、そう言う事を全く考えず、数字を転がして考えるだけなので、交渉事は全然まとまらない。なぜなら、相手の立場、合意できる状況(均衡点)、そういうものがまるで把握できていないし、感知できていないからだ。

私のような理想主義者がどのように失敗するかというと、それは歴史を紐解くと分かる。イランのパーレビ国王は、白色革命を推進し、急進的な近代化路線を追求したが、それは、イスラム教を信じる人達の怒りを買い、イスラム革命が勃発、ホメイニ氏を中心とするイスラム復古主義派に国を支配され、結果として彼が定めた女性の解放などの善政もイスラムの大義のもとに消え去ってしまった。要するに現状とあまりに乖離した政策は、その反動によって、全く正反対の結果を招いてしまうのである。

だから、政治というのは、その国の国民にあったものでなければ継続できず、場合によっては、反動によって、その反対の結果を招いてしまう。であればこそ、現実的な合意点を模索し、対立を避けるというのが政治の要諦である。私のように人の事を考えず、数字を見ている人間は、ここが分かってない。私は、その点を他人に指摘された時、パーレビ国王のことを思い出し、これではいけない、危険だと思った。知識があっても、それが、どのような状況で使えるかは知らなかったりするのだ。人に言われて気がつく。

同じような要素は、今やっているアニメのガッチャマンクラウズインサイトの累というキャラクターにも見て取れる。彼は理想を追求したが、人の善意を信じるあまり、その力がもたらす負の側面には無頓着であった。その反動が、彼の理想とは反対の方向に現実を向かわせてしまう。(第4話から7話辺り)自分も考え方が累と同じであるので、この反動要素には、常に警戒しないといけない。累は、自分の理想と反対の結果を自分自身が生み出してしまったことを悟る。しかし、その時には、彼がコントロールできないところまで状況が進展しているというストーリーだった。

理想と現実の間にある均衡点を探すことこそ、政治の要諦であり、モノや機械のように数字や合理性が全体を支配するものとは、人間というものは違う。この違いがわかっていないと、思うところと反対の事態を招きかねない。特に日本のようにメンツや体面を重視するような社会では、それ自体が社会を束縛していると言えるが、それに配慮しないといけない部分も多分にある。私のような急進的な理想主義者は、そういう事は無視する。だから危険なのだ。自分の陥りそうな危険を理解し、それを避ける姿勢を持つことで、人は賢くなれる。この過去という束縛から離脱するためには、ポジティブな世界観の共有が必要である。というのは、体面やメンツも大きなポジティブな要素がそこにあれば、それは無視される。この点を重視するべきなのだ。パーレビ国王の改革が失敗したのも経済政策の失敗による所が大きい。急進的な改革であっても、それで市民が豊かになれば、恐らく、非難はされなかっただろう。パーレビ国王はポジティブな要素の創成に失敗した。

だから、私のような理想主義者は、反動を恐れ均衡点を探すことも大事だが、ポジティブな流れを作りつつ、反動を警戒しながら、斬新的に状況を改善していくというのが、現実的といえるだろう。頭のなかで改革をするのではなく、社会の中で改革はされなければいけない。変えるべきものの実態と性質を見誤ると逆効果になりかねないというのが、自分の現時点での結論。