SKY NOTE

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常識を疑う方法

凡人である自分が、天才の義父から学んだことは、常識を疑うことだった。というのは、天才というのは凡人の上のランクの答えを常に保持している。一般の人間は、沢山の人が支持するものを正しいと判断するが、天才というのは、それを上回る答えを常に保有しているため、衆人の言っていることは軽く無視する。なぜなら、それを上回る答えを持っているからだ。

つまり、多数の人がこれが正しいと言っても、義父は、それを鼻にもかけない。むしろ、それが何故間違っているのか明解に説明してみせるという人だった。私は説明を聞いて、なるほどと思ったものだった。そういう体験をしていると、沢山の人が信じていることが真実ではないのだという認識が自然に身につく。沢山の人に普及した知識というのは、製品で言えば、量産モデルである。義父の言う答えは、特注品の高級品である。

私は、そう言う意味で高級な答えに触れる機会が多かったと思う。しかしながら、義父と私とでは能力の差が大きすぎて、私が義父から学べたことは、常識を疑う姿勢ぐらいだ。常に大衆が正しい訳ではない。それは普及した知識であって、真実とは違う。そういう考え方をしていると、沢山の人がこうだと言っても軽く無視できる。なぜなら、そうではない事例を私は知っているから。

そういう風に考えると、衆愚に陥らない考え方のヒントが有るように思える。盲目的に集団を信じるのではなく、それを疑うという目線だ。そのためには、沢山の人が信じていることと真実の違いについて、より多く体験しておくことなのだ。沢山の人が信じるのは、それはイメージしやすいからに他ならない。でも、真実は常にイメージしやすいわけではない。イメージしにくい真実というのがある。例えば、認識するのが難しい専門的な事実、常に事実が単純で分かりやすいものとは限らない。(経済などがそれに該当する。実際、日本人の大多数は、不況は国際競争力の低迷が原因だと思っているが、しかし、それが日本経済に占める割合は15%程度であり、本当の理由は、消費税と法人減税によって作られた人工デフレが原因:詳細は過少消費説を参照のこと

または、それを説明する理由が、沢山の人が認めているからという、それが真実であるかどうかとは別の理由で正しいと認識しようとすると、私は義父に、何故そうなるのかと理由を尋ねられ、それに答えられないと、ダメじゃないかと言われ、他人がこうだからという理由で、物事を信じないように考るように仕向けられてきた。つまり、きちんと説明できないことは信じないという事だ。これを他人に委ねてしまうことが衆愚に陥るという事なのだ。他人を全面的に信じるのではなく、その物事が正しいかどうか、きちんと説明できるかどうかで信じる。そういう考え方をすると、自律した発想になり、他人に支配されなくなる。
 

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