SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

考え方が賢い人

自分は賢い人の中にも、いくつか種類があると思っている。才能で頭がいい人、考え方で賢い人、勉強をたくさんして賢い人、今回は考え方が賢い人について書きたいと思う。

考え方で賢い人というのは、僕は凡人の中で自分が最も優秀だと考えている。そして、このタイプの人が最も社会にとって有用な存在だとも思っている。というのは、天才は世の中を変えるほどのパワーがあるが、希少すぎて、それがカバーできる範囲は限定されるし、天才であっても、こういう秀才タイプのその才能を正当に認める評価がなければ孤立し、その才覚が生かせないからだ。漫画で言うと、ガラスの仮面に出てくる姫川亜弓が、このタイプの人間である。

考え方が賢い人は、2つの要素がある。
1.公平な目を持っていること。
2.考える技術を持っている。

1.公平な目線

  • 私は天才の義父の次に尊敬できる人材として、この亜弓さんタイプの人間を評価する。このタイプの人間はだいたい世の中の5〜10%程度存在し、社会を支えているのは、このタイプの人である。そして、天才と違い、誰もが努力をすれば追いつける場所にいる人でもある。凡人の中の下程度である自分が目指すべき人間像として、最も高いランクであり、そして、天才と違い、達成できる可能性がゼロではない存在である。
  • 考え方が優れているというのは、まず、姫川亜弓を見ると分かりやすい。彼女は常に公平だ。北島マヤの才能を無名時代から見抜き、そして、その能力が時として自分以上であることを理解し、勝つために必死で努力をするが、その全てが敗北に終わっている。社会が自分を最上と認めても、自分の目線でマヤに対して敗北を認めるという。非常に公平な目を持っている。彼女の優れている点は、その目にある。
  • そして、その目から分析した結果に基づいて、丁寧に状況を把握し、その上で最善の努力を展開するも、マヤの天才的な才覚の前には敗北するという。凡人の限界を感じさせるキャラでもある。彼女は、公平であると同時に努力家でもある。その結果、常に正確に状況を把握し、それに則した正しい行動が出来ている。単なる努力家と違うのは、彼女が公平な目を持つことで、正しい選択が常にできるので、時として間違った道へ努力する秀才とは一線を画する。
  • そして、その正しい選択は、彼女の品格を形成している。つまり、お姫様みたいな存在なのである。北島マヤが窮地に陥った時、彼女が救うのは彼女が勝ちたい至高の存在がマヤであり、それが自分に負ける前に消えてしまうと、自分の人生の目標がなくなってしまうからである。公平な目が気品となり、その気品ある行動に気概が生じる。私は、そう言う人の横顔が好きだ。時として、それは天才の輝くばかりの才覚よりも美しい。天才が太陽のような輝きを持つのに対し、その人達のそれは、その太陽の光の下で輝く人の汗の輝きである。私は、そういう汗(努力)こそ評価したい。なぜなら、人は天には届かないが、汗をかくことはできるからである。また、北島マヤを見ると不安定で弱い、なぜなら、才能以外の要素は、まるで普通の人間だからである。僕が見た天才も同様で、特定の才能が優れているが、それ以外は普通の人である。また、その才能故に人に妬まれ、社会から排除されやすい。姫川亜弓のような存在は、そういう天才を公平に認め、世の中に引っ張り上げる役割をする。だからこそ、私は、このタイプの人が重要だと思っている。天才が輝くためにも、それを評価する考え方が賢い人が必要なのだ。

2.考える技術

  • 考え方にも技術があるのだ。公平な目線が、その骨格にあるが、それだけではなく、それを技術的に実現する能力も兼ね備えている。その技術が優れているが故に、人にモノ事を教えるのが旨い。このタイプの人が何故、人に教えるのが巧いのかというと、自分に状況を説明する能力が優れているからである。それは、他人の状況の分析、教えるべき内容の選定にも及び、その結果、分かりやすいのである。また、自分の能力を高める技術も持っている。例えば、テストで勉強する時、問題を問いてみて、わからなかった部分だけを集中して勉強するなど、無駄のない勉強の仕方をする。効率的な努力の仕方を弁えている。また、考え方の順序も洗練されいて、無駄のない動き方が出来る。そして、使う道具の選定も常に使いやすく効率的なものを選ぶなど、天才が才能でやってしまう部分を、成熟した技巧によって実現している点が違う。時として、天才は自分の優れた発想を他人に説明できない場合が生じるのに対し、成熟した技巧を持つ彼等は、自分の技術的要素を他人に伝授する事で、他人にも同様のことが出来るようにすることが可能なのだ。こういう時、天才は弱い、彼等は社会的な評価を得難いほど突出していると同時に技巧的には未熟なのだ。その技巧的な未熟さを、ほぼ完全な形で補ってくれるのが、この考える技術を持った考え方が賢い人なのである。つまり、このタイプの人がいないと、天才もその才能が評価されずに終わってしまう危険があるのだ。洗練されたこの人達が天才を評価できるのも、自分の技巧的な解決法では到底達成できない領域に、やすやすと天才が行ってしまうことから、それが分かるのである。自分が技巧的に高みに達しても、天才がそれを越える偉業をセンスでやってしまうという事に驚きを感じ、その能力を認めざる負えないわけである。最も天才に近く、そして、最も遠い存在、それがこの人達なのである。

総評

  • 自分は、この人達を愛すべき秀才という形で見ている。その公平さと洗練された技巧を持つ彼らは、凡人が向かうべき現実的な目標でもある。考え方が賢い人は、良い目を持ち、そして、その目が正しい道を示し、それを成熟した技巧で実現する。考え方が優れているのは、公平な目で物事を正当に評価できるからである。嫉妬深かったり、邪な考え方をしていると、こういう目が曇ってしまい出来ない。それ故に、こういう人達には、考え方に品格があり、それが気概となり指針となり、考えたことを実現する技巧が磨かれる。そういう好循環を実現しているのが、考える技術を持った人達である。漫画のキャラクタでは、エースをねらえ!お蝶夫人ガラスの仮面姫川亜弓などが該当する。こういう人が多くなると世の中は確実に良くなる。教育も、こういう人材を増やすようにすると良い、今は、B層という劣化した人材や努力の量だけで勝負し、品格のない秀才を大量に生産する教育制度であるので是正したい。
  • 公平な目線を育むために必要なのは、ピンキリを理解すること、上には上がいることと、下には下がいる。その視野の広さが、モノの見方を公平に導く、例えば、天才を見れば、大抵の凡人は、その才覚に驚く、そして、その天才に比べれば、秀才と凡人の違いなど、どんぐりの背比べ程度のものであり、下らない差異でしかない事がわかる。最上のものを理解することで、謙虚になれる。その謙虚さが自分の周囲の状況を歪みなく正確に把握することに役立つ、嫉妬心などは、無意味なものだと悟る。嫉妬する以前に、圧倒的な差があるからだ。嫉妬心というのは、こういうピンの人をちゃんと見れば消えざる負えないものだ。だから、有能な人間に接することは大事なことだ。特に圧倒的な天才に。下を見るのは、虐げられている人、弱い人、汚い人、そういう人達を見ていれば、慈悲の心や悪に対する嫌悪感から、自然と間違ったことを否定する方向に意識が向かう。この両方を見据える事で、人は公平になれる。品格という目を手に入れたら、その次にその眼を磨く為に、世の中の様々な情報を把握する知識を持つこと、科学、数学、歴史、文化、宗教などだ。これによって、品格を背骨として、知識が血肉となって備わり、鍛えられた存在が、考え方の賢い人である。現在の教育は、知識を教えるだけで、品格を教えない。しかし、この品格という土台がないと、真に賢いとはいえない。ホリエモンのような存在は、日本の知識教育の失敗作と言っていい。彼の考え方は合理的だが、同時に品格がまるでない。社会が彼を評価するのは、そういう彼を評価する人自体も品格がないからである。はっきり言ってしまうがそうなのである。品格を養うための教育を受けていないから仕方がないとも言える。つまり、育ちが悪いということだ。品格を教えるためには、物語が一番だと思う。物語を通じて、天才に出会ったり、弱い人にであったり、虐けられている人、心の汚い人に出会う。そういう体験を疑似体験をする中でひとつの結論が見いだせたらいい。それが品格となり謙虚さになる。これには漫画が一番いい。ガラスの仮面の序盤が、それに近いものがある。ガラスの仮面を一巻から読み直してですね。姫川亜弓さんを見ると背筋が伸びるというものです。(お前の結論はそれかよ)