SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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私に友がいない理由

思えば、私は義理の父と話すように他人と話したかったのだと思う。つまり、「正しければ、他のことは特に考えなくて良い」というルールの元での自由な対話。しかし、この自由な物言いをすると、友だちがいなくなる。なぜかというと、意見が対立する時、修復ができないからだ。

義父との対話の場合、常に義父が正しい道を示して、私が従う形になっていた。よって、この中では問題は生じなかったが、友人のように立場が対等である場合、片方が正しいと主張すると、それが正しいのかということで、口論になる。私は証拠を揃えて対話をしても、大抵の人は、個人攻撃をし始める。そういう事ををすると、私は嫌気が差して、友達の縁を切ってしまう。

義父と違って、論理で相手を屈服させる力が双方にないのである。私にも友人にも、私は相手を納得させられないし、同時に相手も私を個人攻撃する程度のことしか出来ない。正確に主張しようとすると、結果として辛辣になる。この辛辣さが人の感情に触る。私と義父との会話では問題にならない、辛辣であることは真実を探求するためのノーマルな態度であるため、これは基本、ノーマルという事で処理されるので問題とならない。しかし、これが一般社会の対話では、喧嘩になる。

ケンカに相手が個人攻撃というナイフを持ち出してきた所で、私は嫌になって縁を切ってしまう。そういう状況でも個人攻撃せずに自分の論理を貫く人間ならば、我慢して話を聞く。だが、話の内容に関係ない私のことを非難し始めたら、その時点でアウト、私の友達失格ということになる。しかし、この条件に合致する友達なぞいないから、私には友だちがいない。

私は、話し相手として義父を想定していたが、義父は天才であって、他の人はそうではない。そう考えれば、いささか他人に無理難題を突きつけていたのかもしれないと最近感じる。そう思いながら私に友がいない理由を考えてみると、私は、義父のように道を示してくれる人を探していたのかもしれないと思う。だが、誰も示してくれないので、失望して縁を切ってしまう。しかし、道は自分で切り開くものであって他人に頼るものではない。また、他人には他人の道があり、その他人も義父のように天才ではなく、自分と同じ凡人であるとするならば、他人に多くは求めず、対話することも大切であろう。同じ凡人なのだから。