SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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カエルの共食いの様な競争

小学生の頃、学校でカエルを飼っていたが、餌をやるのをサボってしまって、カエルが共食いをし始めた。そして、最後に残ったカエルも死んで水槽内に何匹もいたカエルは全滅した。そして、水も腐って臭かったことを思い出す。

なぜ、そんなことを思い出したのかというと、今の日本がカエルの共食いと同じように競争させられているからだ。カエルの共食いは餌がなくなったことで、お互いを食い合ってしまい、最後には全滅するという現象だが、実は日本経済にも同様のことが起こっているのだ。

餌を窮乏させれば、お互いを食い潰し合う。このパターン利用すると、消費税によって大企業に富を傾斜させ、日本の7割と言われている中小企業に流れてくるお金を減らす。つまり、中小企業同士で餌の喰い合いが始まる。また、従業員の給与も正規と非正規に分けて分断し、食う側と食われる側に分断することで、共食いを誘発する。

そして世の中で生き残るためには他人を切り捨てないとダメだ。つまり、食われるのではなく食う側に回らないと生き残れないという意識を形成する。これがカエルの共食いのパターンで、いずれ全滅する発想なのだ。

餌がなくなっているのならば、お互いに助けあって、生き残ろうとする者の方が生き残れる可能性が高くなる。なぜか?カエルの共食いの原因は、水槽という閉鎖空間の中で餌がなくなってしまったからだ。つまり、問題の本質は、餌がなくなってしまう現実を解決しない限り、ダメなのだ。餌がなくなってしまう原因は、国際競争力ではなく、株主や大企業にばかりにお金が偏ってしまうことにある。この根本的な問題を解決しない限り、お互いに食いつぶそうとして、最後には全滅する。

他者を蹴落とそうとする発想は、今の日本には蔓延している。例えば安保法制で自衛隊員が戦場に担ぎ出されようとしていても、若者がそれを「仕方がない」と言ってしまう始末、他人の命だからどうでもいいと思っているのだろう。そうやって、自分だけが生き残ればいいと思ってしまう。しかし、それはカエルの共食いの罠なのだ。自分には関係ないと思っているけど、状況が進行していくに連れて、結局、自分の命を差し出さなければならなくなる。というのは、市民が自分だけ助かればいいと思って同胞を助けようとしないと何が起こるのか、それは、分断された脆弱な市民社会、つまり、権力者にとってこれほど支配しやすい市民はいない。皆の為を思い団結できる市民は強い。権力者に対抗できる。しかし、自分だけ助かればいい、そういう愚かな考え方をしていると、社会が政治家の利権のためにいいように利用され、搾取される社会になる。例えば、正規、非正規の問題で、自分は正社員だから、格差なんて関係ないと思うでしょう。それは間違い、団結して自分たちを守らないといけないのに、他人を見捨てると、結果として民主主義で多数決がとれない。つまり、少数の権力者が多数の市民を支配できてしまう。そして、残業代をゼロにされたりして、結果として、搾取されることになる。

そして、その少数の権力者の利益のために、多数の市民が搾取され、苦しむことになる。でも、それは搾取と言われない、経済のためにしかたがないと言われる。でも、実際は富を特定の場所に傾斜させて集中化することで、カエルの共食いのような餌の欠乏状態を生み出し、そこに正規、非正規の格差制度を乗っけると、市民が分断され、団結しないので搾取しやすいのだ。

逆進性の高い消費税などで富の傾斜状態を作り、その上に正規、非正規などの格差政策を設定し、競争させるとカエルの共食い状態になり、生き残るために相手を見捨てることが正しいかのような錯覚を生み出す。そういう発想が蔓延すればしめたもので、市民が団結できなくなって、多数決がとれなくなるので、格差が是正されず、最終的にはお互いに共食いをし始めて滅ぶ。

今の日本はそのようになり始めている。他者を見捨てる人間は、結局自分を見捨てることになる。民主主義の多数決は、同胞を助けようとする姿勢によって強化される。他人を見捨てる人間同士に団結など存在し得ない。そういう心の醜さを権力者は利用する。そして、好きなだけ搾取できる。彼らにとって天国のような社会が生まれるのだ。
 
民主主義において、仲間を救おうとしない民は、権力者の奴隷になるしかない。他人を見捨てて、自分が生き残っていると思うのは錯覚。そういう他人を切り捨てる市民には団結など生まれようがない、つまり、多数がとれないのだから、権力者の奴隷になるしかない。