SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

美観と合理性

最近、やっとわかったのは、他人を説得できない理由について、個々人の美観に基づく主観性が理解できず配慮できなかった事だとわかった。私は、子供の頃、義理の祖母が子供の頃の私に逆らうな、我慢しろと私に要求する理由がわからなかった。合理的に考えて、間違ったことを要求している人間を非難するのが正しく、そういう人間を否定して、正しいものを尊重するのが合理的なのに、他人に無理なことを要求し、無制限の権利を主張する人間を養護し、私に我慢しろというのは、合理的に言って全く理解できなかった。

私から見れば、他人に物事を要求するときに、主観を交えてはいけないというのを義父から徹底されていたので、まず、客観的に正しいのは自分の論理であって、相手はまるで論理的に整合性のない主張をしているのだから、当然否定されるものと思っていた。それについては、私は大人になってからも、祖母がどうしてそういう考え方をしているのか理解できなかった。そういう意味では、考え方が非常に原則に忠実だったといえる。

しかし、その原則を無視する別の価値観については、その存在は分かっていても、それが何なのかが私には理解できなかった。私の常識では、主観に基づいて他人に物事を要求するのは失礼であり、デザイナーとか特別な仕事を除けば、通常、オトナのすることではない最低のことであって、そんなことを祖母がするはずがないというのが、私にとって盲点だったと思う。

しかし、デモに行くようになって、様々な人々と話をしてみると思うのは、様々な価値観があり、また、様々な正義があり、しかし、合理的とはいえない部分もあるという要素を見た上で思ったのは、要するに美観、美意識の衝突であることが分かった。合理的に考えれば答えは決まっているというか、確定しているのだけど、個々に保有している美意識のようなものがあって、それが統一的な行動を阻んでいると感じた。

状況を数値化して、データを見れば、ヤラなければいけないことは確定しており、大局に基づけば、合理的に答えがある特定の方向に集約する事が分かっているのにもかかわらず、それに行けないのは、美意識なのである。そう言う人に合理性を述べていても、全く説得できないのである。なぜなら、問題は合理の問題ではなくて、美意識の問題だから。つまり、別のベクトルの問題であって、それに対応できていなかったことが説得が出来ない理由だった。

なぜ、そういうことに気づいたのかは、もうひとつの理由に選挙がある。選挙で当選する人間は、知名度が高い人が多く、人々は印象で選んでいることが分かる。つまり、政策などの合理ではなく、イメージで選んでいるのだ。自民党に票を入れる人がいるのも、合理的に考えたら、戦争をしようとしている政権に入れることなど考えられないのだけど、それをテレビを中心とするマスコミがイメージで、どす黒い政権を白いキレイかグレーくらいにイメージを薄めているため、投票する人がいる。逆に言えば、そのイメージをうまく使えば、逆方向に展開できるかもしれない。そう思える。

私が祖母を理解できなかったは、我慢を美得する祖母の美意識が理解できなかったといえる。もっと言うと、自分の個人的主観に過ぎないものを普遍的な価値観と勘違いし、他人に当たり前のように要求する傲慢な人間であるとは思っていなかったのだ。

しかし、美意識というのは、黒いものを白に塗りたくってしまう傾向があるらしく、祖母は自分の美意識が、ただの己の妄想である事に気づくことが出来なかったのだと思う。他人と共有するのにはあまりにも、低レベルなものを美しいと思って、人に強要したのが祖母だった。非常に愚かなものを美しいと感じ、人に押し付けた祖母の罪は重いが、美意識というのは、そう言う幻を人に見せて道を誤らせてしまうものなのだと思う。思えば歴史上、玄宗皇帝が楊貴妃の美しさに夢中になってしまい政治を疎かにしたことからも分かる通り、美しさというのは、合理を駆逐するパワーを持っている。逆に言えば美しさを味方につければ合理的なことが、実行しやすくなるとも言える。私が理解できなかったのは、そう言う人の美意識について、合理と分けて考えていたことだ。しかし、それらは往々にして融合しているのだ。私は、その現実が理解できていなかった。私の考えはコーヒーはコーヒー、ミルクはミルクと考えており、現実はカフェオレだったということに気づかなかったということなのだ。
 
 
 

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