SKY NOTE

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強者に甘い社会が専制を生む

強者に甘い人が多い、強者というのは単体では強くても、9割の弱者が集団となれば、1割の強者は負けるのが実態である。今の日本社会において、弱者には酷く高圧的で、強者にはとても低姿勢な、一昔前ならば腰巾着と言われ蔑まれてきた人達が、あまり批判されずに生きていられるよろしくない社会になったのだが、その要因はチームプレーの衰退がある。

強者が威張れるのは、大多数の弱者を分断している時なのである。個別に分断し、各個撃破してしまえば、元々、単体で力のある強者が常に勝てる状態になるわけである。ということは、弱者が分断されずチームになれば、この限りではないという事だ。私の子供の頃までは、ガキ大将という制度があって、何か問題があれば、みんなでチームを組んで対決するという事ができていたが、学歴競争が激しくなって皆が塾に行くようになり、集会への集まりが悪くなって、ガキ大将は私達の代でいなくなった。

だから、チームを組んで、問題に対処するという習慣が根付かず、リーダーシップも訓練されないまま、大人になってどうなったかというと、バラバラな市民社会が生まれた。つまり、分断された弱者と強者の関係が、そこから生まれた。そして、人々をまとめる存在は、テレビや新聞のようなマスメディアしかいなくなった。

この状態では、チームの組めない状態の弱者は常に負けるので、勝とうとすれば、強い方についた方がいいということになる。このパワーバランスが権威主義を育て、弱者に冷たく強者に甘い人間が増えてしまった。それはチームプレーの技術が欠損しているがゆえに弱者が自らの本来の多数の力を引き出せないことによるものなのだ。

チームプレーの大切さは、要するにリーダーを設定し、そのリーダーと参謀集団の合議で決めたことを下の者が実行する。ただ、それは専制ではなく、皆が不満を言い出せば、リーダー自身も考えを改めなければならないというボトムアップの状態もある事、ただ、全体を統合するためには、始終バラバラでは組織として機能しないため大抵の場合は、リーダーの言うことに従う事になる。だが、リーダーは、自分勝手に物事を決めるのではなく、必ず皆の同意を求めて重要な事を実践するというルールを守る。そうであってこそ、リーダーなのだ。

そういうチームプレーを復活させることが、弱者にやさしい社会を生むことになる。今のように強者の腰巾着でしかないマスコミに人々をまとめさせていては、強者がのさばるばかりで弱者は虐げられるばかりだ。思えば、ガキ大将のいた頃、私はいじめられることはなかった。リーダーが弱い者いじめをする人間を厳しく批判し、やめさせる世界は、弱かった私にとっては心強かった。ガキ大将がいないくなると、元々の力関係が復活し、私のような弱者は強者の横暴に虐げられることになった。

弱者であればこそ、寄せ集まって力を結集し、強いものに対決することで、自分たちの権利を勝ち取らなければいけない。今、それが求められている。私はその鍵はインターネットにあると思っている。そして、現在、言論統制まがいの秘密保護法や、国民主権を否定しかねないTPPなどの専制政治を打開するためには、民衆のチームプレーを復活させる事こそ、急務なのだと私は思う。