SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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下から目線で人を伸ばす

自分は、人の才能には、大きく分けて3つの階層があると思う。

 天才:天から与えられた才能、凡人が追いつくことの出来ない超越性がある。
 凡才:努力をすれば結果が出る素質を持っている。凡人の努力した姿が秀才
 無才:努力をしても結果が出ないか、それが難しい状態にある才能の欠乏した状態

私は、知能は凡才、運動能力は無才であった。私は、いくら運動をして鍛えても、筋肉がつかない体質、何を食べても太らない体質であり、運動をし過ぎれば、体が筋肉を栄養源として使ってしまう糖新生というモードにすぐになってしまう程、身体的に余力がない体質だった。

知能について、天才の義父を見ることで努力というものが無意味に感じられ、いくら頑張っても、ああいうのが出てきたら確実に負けるという確信をもってしまうと、努力がまったくもって空虚に感じる。でも、実際は意味がある。というのは、秀才が社会で成功しているのを見ればわかるけれども、彼等は、一番にはなれないけれども、かなり成功している。天才にぶつかったら負けるけれども他の努力をしない凡人をやっつけるだけでも十分、成功者の一員なのだ。私の間違いは比較する対象が不味すぎたという事。

人は、自尊心を折られると、凡才から無才の状態になる。自分よりもはるかに強い相手と常にぶつかったりして、何度も負け続けると、自尊心がへし折られ、どんな努力をしても無駄だと感じるようになり、結果、努力をしない無気力な凡人は、努力すれば出来る才能があっても無能である。正に玉も磨かなければ光るまいという言葉通りである。

私が思うに、体力的に無才だった私から見ると、努力をすれば結果が出る才能を持っているのに、出来ないというのは、贅沢な悩みだと思う。私から見れば、彼等は頑張れば頑張っただけ、能力が伸びる自分にはない贅沢な素質を持っているのに、それを勝手にできないと烙印を押して何も努力をしないで才能を無駄にしているのを見ると、なんでコレができるのに、やらないんだと言いたくなるわけだ。

私が、そういう風に主張をすると無才状態の人が凡才に格上げされ、結果を出したら褒めると、凡才が秀才になって成功する。私のアドバイスは、自尊心を私の下から目線で引き上げて、その後、結果が出たら具体的に褒める。具体的に褒めるのは、ウソっぽくないリアルな褒め方だから。凡人としての素質のある人間に限定

下から目線
 無才→凡才(努力したら結果が出る状態に自尊心を高める)
具体的な賞賛
 凡人→秀才(努力を賞賛して鼓舞し、努力する凡人=秀才)

人を無才にする方法は、圧倒的な力や権力で自尊心を叩き潰せばよい。
 凡人→無才
世のお母さん方やアメリカが日本にしているのは、コレである。我が子の才能を台無しにする。また、努力をして結果を出しても、まだまだといって、全然褒めない。
 秀才→凡人→無才
向上心が高いのは結構だが、努力を放棄してしまうレベルまで自尊心を壊すのは、やり過ぎ。才能を活かすための努力をしなくなる。

私は、自分が無だからこそ、他人の有が分かる。そして、その価値を理解し、賞賛することをためらわない。そうすることで人が伸びることを知っている。だから、自尊心を壊すような事は避ける。それは何の意味もないから。意味があるのは、自尊心を傷つけられたら頑張る覇気のあるタイプ、このタイプは基本的な自尊心を壊さない程度に挑発すると爆発的な結果を出すので、そう言う時は、挑発をする。

だから、自分は日本という国の素質も理解している。その素質を活かせば、素晴らしい国になることも知っている。どうすればいいかということも、知っている。だが、多くの日本人の自尊心は、この四半世紀の不況の中でボロボロに成っており、最初に述べた無才状態になっている。だから、どんな説得も意味を成さない。自分の才能に気づかないものは、その才能を活かすことが出来ない。なぜなら才能を活かすには努力が必要で、努力とは自分への信頼から生まれるものだからだ。この信頼が壊れてしまうと、人は前に進めない。私がすることは、努力をしたら、結果が出る凡才状態に日本を引き戻すことだ。自分の才能(素質)に気づくこと、それが大事。私は、そういうものがないからこそ、その価値が分かる。

私は1円玉を拾いながら思う。価値は、その価値を理解するものによって活かされると。