SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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非合理的な現実が理解できない自分

選挙もそうだが、どう考えても自らの目的に対して、非合理的な選択をしてしまう人達が理解できないのが自分のモノの見方の弱点である。例えば、今回の選挙における農協の方々、自民党が推し進めるTPPが施行されてしまえば、関税撤廃によって採算が合わなくなり農業ができなくなる事態に陥る。死活問題である。だが、なぜか彼等は自民党に入れた。全く理解できない行為であるが、それが投票結果から見る事実なのである。(不正選挙である可能性は、ここでは置いておくとする)

それを説得する材料として「与党だから」という理由なのだそうだ。つまり、権力のあるものに票を入れてやったんだから、自分たちの意見を聞けという理屈らしい。だが、これは間違っている。というのは、選挙公約と違うことをすれば政治家は批判にさらされる。よって、公約ができるだけ自分たちに都合のいいものを選ぶのが合理的な選択というものである。ましてや自分たちの首を絞めかねない政策を推し進める政権がいるとしたら、なおのこと入れてはいけない。これが合理的な発想である。

しかし、彼等の発想は、恐らく、物凄くシンプルである。権力のないものは何も出来ない、故に何かできるものに票を入れる。非常にシンプルかつ素朴な権威主義と言える。この発想が決定的に間違っているのは、結果が証明する。自民党はTPPを推進し、農家を潰す。投票率が低いのだから、農協が一致団結して動けば政権が動くというのにもかかわらず、彼らは権力の選択権が自分たちの手中にあることをよく理解していなかった。自分が権力を持っているのに、それが自民党にあるのだと勘違いしてしまうという大きな間違いを犯してしまった。また、権力があるものに投票するという行動は、結果的に、権力を必要以上に安定させ、政治家が市民の側を見なくても良い状態を生み出し、独裁政治の温床になる。実際、自民党は消費税を上げたり、原発を再稼働したり、やりたい放題だ。故に自分たちの意にそまぬ公約を掲げている政党は、選挙で排除しないとダメなのである。そういった権力の流動性の高い状態が、結果的には国民よりの政治を生み出す。

自分が理解できなかあったのは、誤った情報、全体が見えていない事による誤解を前提にした行動であった。正確な情報を持っている人間から見れば、極めて誤った非合理的な判断であり、間違った行動。その意味で若者の低投票率に加え、老人のデジタルデバイドこそ、この国の政権交代を阻害している最大要因といえるかもしれない。あと小選挙区制度も問題だ。

自分の発想は、正しい情報に基づいて正しい判断をすることを前提にしているが、これは、正しい情報を皆が知っており、合理的な判断を皆が出来るという前提に立っている。私は農協は死活問題がかかっているので、いくらなんでも、この判断はしないだろうと思っていた。しかし、投票結果から見る現実は、その真逆のものであった。自分の首を絞める政権に自分で票を入れるという自殺行為を農協はした。まず、理解できない間違った行動であり、合理を超えていた。これは、正しい情報で判断すると理解できないが、間違った基準で考えれば理解できる発想なのである。そう言う意味で、正解だけでなく間違いを理解することも世の中では大切なことだ。時として間違いを無視してはいけない。正しい選択をする時には、排除していい。だが、間違ったものが自分以外に普及しており、その存在が否定出来ない規模の場合、それは厳然たる現実であって、否定してはいけない。ただ、この間違いを理解するというのが難しいのは、間違ってしまう人間の特徴が多様であることである。合理性によって導かれる結論は、あまり多様ではないが、間違いのパターンは無数にあり、この無数にある中から、最も影響力の大きいものを選択し、それに基づいて情勢判断するという難しい判断をする必要がある。現実を理解するというのは、そういう難しさがあると、今回の選挙で感じた。

私が悪人の発想が理解できるのは、要するに彼らの悪の発想が自己中心的で、そこを中心に合理的に考えれば、大抵、分かるのである。彼らの行動は悪の論理で言えば、非常に合理的である。だが、善人の善意に基づく誤解ともいうべき間違った判断は、それは非常に理解しづらく理解不能である。様々なパターンが考えられ、それのどれが影響力を持つのか想定しにくい。非常に複雑に思える。正しい土台があれば、そこに正しい杭を打ち込めば、しっかりした良い建物ができるが、軟弱な土台に傾いた杭を打ち込めばダメな結果になるのは分かりきっている。私は、軟弱な土壌を把握していなかったし、傾いた杭がまっすぐだと勘違いしていた。

そう言う意味で、わたしは間違っている。間違いを理解しない間違いを犯している。