SKY NOTE

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厳しくスマートな批判が人を思考させる

批判の効用について考えるとすると、その批判がスマートであるほど、人を思考させることになる。私は凡人の中での中の下であるが、批判的精神をもって考えることが出来たのは、天才の義父の厳しくスマートな批判に対応する中で培われたものだと思っている。批判的視点が人を思考させる。そういう思考方法をクリティカル・シンキングといいます。今回は、それを生み出すスマートな批判について述べたい。

人を考えさせるスマートな批判とは何か?

【1】対案を的確な問題点をあげて求める

  • まず、問題を解決するための要素を的確に求める批判が必要である。例えば、私が子供の頃、ニュースを義父と見ていて、対案もなしに私が政治家を批判した時、義父は、この問題は解決が難しいと言って、その解決が困難な理由をスパッと提示し、それをどう解決するのか?と質問する事によって対案なき無策な批判をたしなめ、問題についてフェアに考えさせることを私に教えてくれた。スマートでない批判は、問題点を指摘せず、ただ対案を求める事、それは質問者が何も考えず答えを他人に丸投げしているのであって、そのような質問は、スマートとはいえない。そうではなく、問題の核心に迫る部分を提示し対案を求める。それに相手がきちんと答えられれば、それはスマート批判がスマートな解決法を導いたことになる。スマートでない批判は、重箱の隅をつつくような瑣末な問題を列挙して、批判すること。あくまでも核心を突く質問であってこそ、スマートな批判たりえる。
  • スマートな批判(1):優れた批判は優れた質問でもある
  • ・問題解決に導く建設的な質問がスマートな批判になる。
  • ・核心をついており、瑣末で散漫な質問でないこと。
  • ・問題解決のために超えなければいけない問題点を提示すること

【2】敵意のない厳しい批判(ルールのある批判:ゴールの定義)

  • 義父は、私に質問する時、まるでゲームをするように質問した。しかし、そのゲームは厳しいものである。ただ義父の質問は、常に敵意がなかった。要するにチェスをやっているような質問である。ゲームをしているのであってケンカをしているのではないという所が義父の批判である。つまり、将棋やチェスで厳しい手を撃ってくる相手のように批判する。しかし、それはゲームであって、敵意がない。勝ち負けの基準はそのゲームのルールによって決まる公平なもの。ここにきちんとした問題点を列挙する事がつながってくる。つまり、建設的な問題点を列挙し、それを解決すればゴールというルールを設定する。これが出来ないと、最終ゴールが定義できず破綻した議論になる。スマートな批判には的確な質問により、なにがゴールか明確に定義されている。また、その質問に対し、冷静に考えさせるために目的と合致していない点を適切にあげ、感情を抑え、冷徹かつ公平な立場で質問する。ここでの問題点は、あまりに冷徹すぎると人の怒りを買って議論にならなくなるので、そう言う事を言う前に、目的を明確に提示して、それに合致していない事をきちんと述べてから、きちんと手順を踏んで批判すると苦しいながらも聞く耳を持ってくれる。
  • ・スマートな批判(2):ゴールが定義されたルールのある批判
  • ・敵意はないが厳しい批判(感情を持ち込まないが議論は厳しい)
  • ・ゴールが明確に定義された質問(何がゴールなのか明確に定義されている)
  • ・正当な目的から入って、質問に入る手順を踏むことで感情を誘発しない。

まとめ

  • スマートな批判を持ちだしたのは、要するに日本人が議論下手なのは、批判の仕方が的確でない事にあると思う。優れた批判は優れた答えを生み出すものでなければいけない。そのために、義父の議論の仕方を思い出し、それについて考えさせられた私の子供時代を通して、建設的な議論に必要な事は何か、人を考えさせ、前に進ませるものはなにか考えてみた。ちなみに私が義父と会話する時には、緊張感があった。いつ自分の意見が一刀両断され、粉砕されるかという不安を感じつつ、ゲームをするように対話した。要するにゲームであって、ケンカではない。ゲームには明確なルールがあり、ケンカにはルールがない。そういう意味で、義父との議論は、厳しかったけど、ルールがあって安心できた。私は、そういうルールのある議論ができる批判ができれば、もっと私達は良い答えにたどり着け、もっと良い社会に出来ると思う。だから、良い質問ができる事、それが良い批判であると言いたい。