SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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ぼんやりとした雲の中で悪政が行われる。

子供に、それが正しいからといってニンジンやピーマンを食べさせようとしても成功しない。言葉で人が嫌がることを実現できる事例は少ない様に思える。改革の歴史を見ると、古くはフランス革命、インド独立運動、公民権運動など、成功した改革には、その背後には目で見て分かる差別があった。

 インド :カースト制度による身分制度、イギリスによる搾取
 フランス:貴族による農民の搾取
 アメリカ:黒人差別

日本の明治維新であっても、やはり身分制度があり、その中で人々が怒っていた。その怒りを代弁し「差別をなくすことを実現する」と確約した者の手によって改革がなされてきた。

 フランス:ロベスピエール
 アメリカ:キング牧師
 インド :マハトマ・ガンジー

酷い差別が目で見て分かるほど苛烈であった時代、何が正しいかは、一目瞭然だった。しかし、現在の差別はどうだろうか、はっきりと差別が見えるかというと、どうもボンヤリしている。実際には、正規、非正規の差別、男女差別などはあるが、昔ほど苛烈ではない。貧富の差も広がっているが、デフレによる物価下落で、極端に貧しくなることもない。ただ、数字を眺めると、差別ははっきりわかるし、アベノミクスによって生じた物価高騰が、デフレによる実体経済の緩和効果を相殺しているので、徐々にではあるが、人々は本当の意味での貧しさをリアリティをもって感じている。

また、テレビなどのメディアにモノを見る目を少なからず依存している現代人は、メディアが情報を流さなくなると、途端に盲目になる傾向にある。情報がおかしいと思っても、それを確認する手段にインターネットがあるものの、それで正しいことを理解できるのは、全体の半分に満たない。例えば、本当は福島な人たちの事をもっと報道しなくてはいけないのに、震災以降、福島の人たちのことについて全国メディアが報じた情報はあまりにも少ない。その少なさは異常なほどだ。逆に海外のメディアの方が、きちんと放射能測定器を持ってきて客観的に報道しており、日本のマスメディアだけを見ていたら盲目になってしまう。

ここで2つのことが分かる。数値を見れば経済格差ははっきりとあるが、デフレでそれらが隠匿されていたこと、メディアが格差をきちんと報道していないことだ。非正規の報道はされていても、彼等の暮らしぶりや賃金の少なさ、そして、それ故に結婚もできずにいる異常な状態を、踏み込んで報道していない。もし、そう言う報道がされているのならば、非正規問題を他人ごとのように感じる事は出来ない。なぜなら、若者のかなりの割合が今や非正規労働者なのだから、日本の未来の問題なのである。

要するに私達は、経済面と情報面で、ぼんやりとした雲の中にいる。それらがハッキリとしていないため、何が正しいのか分からず、方向性もはっきりしないまま、惰性的に生きているのが大半の人々であろう。では、どうしたらいいのか、ぼんやりしたものがハッキリすればいいのである。

既にアベノミクスという格差政策で経済面では、格差がはっきりし始めた。あとは情報面でハッキリさせる流れが生まれれば、このぼんやりとした状態はなくなり、何もかもがはっきり見えるようになる。そして、そうなった時、改革が行われることになるだろう。