SKY NOTE

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風で動く人々

主体性と受動性の違いについて
なぜ、民主主義が壊されようとしているのに、人々は動かないのかと考えてみると、それは、受動性の強い国民性が影響しているのではないかと思った。それは、船に例えると、受動的な人間は帆船であり、風が吹けば動くが自分からは動かない。反対に、能動的な人間は、エンジンを持っていて、己の理由という油を燃やして動く、だから、能動的な人間ほど、自分がどういう理由で動いているのか答えられるが、受動的な人間は、その理由そのものがない。彼らが動くのは外部の風であって、自らでは動かない。逆に言えば風を起こせば、彼らも動く。恐らく日本社会というのは、受動的な人間が6割位いて、能動的な人間が恐らく少数派なので、理由では動かない。風で動く。

では、風という現象を物理現象から言うと、太陽熱で温められた空気の対流現象と言える。つまり、太陽の熱を供給し、空気を温めれば、温度差が生じてそこに対流がうまれて、風となる。これを社会現象に当てはめると、太陽に該当するのはマスコミであり、それがテレビや新聞を通じて大衆という大地を温めて、風が起こる。ここで重要なのは、全体にまんべんなく、同じ方向の情報を当てることによって起こる風、その風に乗って6割位の人が動いて、それが民主的プロセスを通じて、民意となり社会が動く。このように説明すると、受動的な大衆が過半数を占める社会では、社会的決定の多くが、マスコミを通じて決定される。ただし、それが成立するのはマスコミが同じ情報を流すというという条件があること、別々の情報を流せば、それは過半数を動かす風にはならない。

この点に着目し、考えてみると、別々の情報を提供し、個々の情報に差異が生じ始めると、途端に受動的な人々の中にも意見の違いが生まれ、そこには互いの風がお互いを打ち消しあう現象が生まれる。その過程で、人々は考えなくてはいけなくなる。なぜならば、ひとつの標準(風)に依存できなくなるから。そして、考え始めることで、能動性を持ち始める。それを正しい方向に導く様なものがあれば、日本は変わる。